龍馬脱藩の道・泉ヶ峠
愛媛県喜多郡内子町と大洲市の境、愛媛県道56号(内子河辺野村線)の脇にある旧道の峠が、龍馬脱藩の道・泉ヶ峠(いずみがとう)。泉ヶ峠は往時には、土佐街道の交通の要所で、文久2年3月26日(1862年4月24日)、土佐藩を脱…
愛媛県喜多郡内子町と大洲市の境、愛媛県道56号(内子河辺野村線)の脇にある旧道の峠が、龍馬脱藩の道・泉ヶ峠(いずみがとう)。泉ヶ峠は往時には、土佐街道の交通の要所で、文久2年3月26日(1862年4月24日)、土佐藩を脱…
東京都府中市宮西町5丁目、府中市役所近くの甲州街道の交差点にあるのが、府中高札場。東京都下では蔵敷高札場(ぞうしきこうさつば/東大和市)と府中市の2ヶ所しかない高札場の跡。大國魂神社の社前を通る都道229号(府中調布線)…
奈良県吉野郡吉野町、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)第75靡(なびき)・柳の宿(やなぎのしゅく)から吉野川を柳の渡し(六田の渡し)で渡ると六田の宿(むだのしゅく)。六田は、吉野山の登山口、さらには吉野川の舟運の川湊とし…
現在の奈良県吉野郡大淀町北六田と吉野町六田とを結んだ渡しが、柳の渡し。吉野町側では六田の渡し(むだのわたし)と呼び、吉野川の渡し船が吉野から熊野本宮へと至る大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の起点となっていました。椿の渡…
現在の奈良県吉野郡吉野町六田と大淀町北六田を結んだ渡し場が、六田の渡し(むだのわたし=柳の渡し)。吉野から大峯山へと至る大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の起点となっていました。美吉野橋の吉野町側のたもと、六田の渡し場跡…
神奈川県横浜市鶴見区生麦1丁目 、首都高速道路神奈川7号横浜北線の岸谷生麦IC近くの高架下にあるのが、生麦事件の碑(なまむぎじけんのひ)。文久2年8月21日(1862年9月14日)、居留地のイギリス人が薩摩藩の大名行列に…
山梨県大月市大月町、中央自動車道大月IC近くの国道20号沿いに建つのが、下花咲宿本陣・星野家住宅。旧甲州街道、日本橋から数えて26番目の宿場だった下花咲宿の本陣遺構で、国の重要文化財。下花咲宿と上花咲宿で花咲宿を形成し、…
東京都板橋区、かつての中山道板橋宿を横切る石神井川に架る橋が、板橋。地名の由来にもなった橋で、平安時代にはすでにあったものとされる歴史ある橋。現在の橋は、石神井川の河川改修後の昭和47年の架橋(かつての蛇行部分が石神井川…
東京都日野市日野本町2丁目にある東京都内に現存する唯一の本陣の遺構が、日野宿本陣。甲州街道の日本橋から数えて10番目の宿場町、日野宿の本陣で、新選組局長の近藤勇と土方歳三(ひじかたとしぞう)、沖田総司などが出会うのは、本…
埼玉県川口市本町1丁目、荒川のスーパー堤防近くの住宅地の一画に設けられた鎌倉橋記念緑地に立つ昭和35年建立の石碑が、鎌倉橋の碑。鎌倉街道(奥州街道)の中道(なかつみち)は、この場所で入間川(現在の荒川)を渡り、船戸原(現…
静岡県富士市岩淵、富士川の畔、東海道の間の宿として機能した岩淵宿での大名の休憩所となっていたのが小休本陣常盤家住宅(こやすみほんじんときわけじゅうたく)。江戸時代を通し富士川渡船の渡船役を務めた名家で、建物は国の登録有形…
山梨県甲州市勝沼町、勝沼ぶどう郷としてブドウとワインのイメージが強い勝沼ですが、勝沼市街地を走る山梨県道34号(白井甲州線)は、かつての甲州街道勝沼宿。甲州街道は、江戸と中山道・下諏訪宿(現・長野県下諏訪町)を結ぶ五街道…
山梨県笛吹市御坂町藤野木にある旧街道の石畳が、御坂峠(みさかとうげ)を越える御坂路石畳(みさかじいしだたみ)で、新田集落には石畳道の一部が現存。甲斐九筋(かいくすじ)のなかでも最古の官道が、甲斐路(かいじ)とも呼ばれた御…
愛知県豊明市阿野町にある東海道の一里塚が、阿野一里塚(あのいちりづか)。旧東海道に面して道の両側に塚が残る貴重な一里塚で、国の史跡に指定されています。池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)と鳴海宿(なるみしゅく)の間、江戸・日本橋か…
愛知県岡崎市大平町にある東海道の一里塚が、大平一里塚(おおひらいちりづか)。江戸・日本橋から数えて80里目にあたる一里塚で、三河国(現在の愛知県東部)では10番目にあたる一里塚です。家康の家臣で、当地を領有した三河三奉行…
三重県亀山市野村町にある東海道の一里塚が、野村一里塚。三重県内にあった12の一里塚のなかで唯一現存する一里塚で、国の史跡。江戸・日本橋から106里12町、京三条大橋から17里32町で、105里目の一里塚として築かれていま…
静岡県三島市、旧東海道の箱根越え(箱根八里)の三島側入口(箱根西街道)、国道1号沿いにあるのが、錦田一里塚。江戸・日本橋から数えて28番目の一里塚で、街道(国道1号)の両側に一対で現存する貴重な塚。塚の上には榎(えのき)…
大分県速見郡日出町豊岡にあるフランシスコ・ザビエルが府内の大友宗麟と会見する途上に歩いた道といわれるのが、ザビエルの道。豊前と豊後を隔てていた峠越えの場所が、鹿鳴越峠(かなごえとうげ)で、ザビエルの道と呼ばれるのは、宇佐…