「徳川家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となった出世城なんです!」と、強調するのは浜松市の観光関係者。
しかも浜松市のキャラクター「出世大名家康くん」は、浜松市で開催の『ゆるキャラグランプリ2015』では地の利を活かして4万9302票という大量得票でダントツのグランプリ獲得。
さらには浜松市の「福」市長にも就任!と、浜松市は目下、家康で押しに押してます。
ホントに浜松城は出世城!?
さてさて、ホントに浜松城は出世城なのでしょうか?
浜松観光ボランティアガイドの飯尾貞彦さんによれば、
「徳川家康は29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。有名な姉川、長篠、小牧・長久手の戦いもこの期間中の出来事」とまずは、家康の天下取りの人生で「もっとも大切な時代を過ごした地」であることを強調します。
元亀元年(1570年/29歳)/姉川の合戦(織田・徳川VS浅井・朝倉)=○織田・徳川軍勝利
元亀3年(1572年/31歳)/三方ヶ原の合戦(織田・徳川VS武田信玄)=×家康大敗
天正3年(1575年/34歳)/長篠の合戦(織田・徳川VS武田勝頼)=○織田・徳川軍勝利
天正9年(1581年/40歳)/高天神城の合戦(徳川家康VS武田勝頼)=○家康勝利(武田勝頼の名声失墜)
天正12年(1584年/43歳)/小牧・長久手の戦い(徳川家康VS羽柴秀吉)=△次男・於義丸(結城秀康)を秀吉の養子に
家康の浜松城主時代のおもな戦績は、3勝1敗1引き分け。高天神城を除く勝利の2戦はいずれも織田信長主軸の戦だけに、家康には必ずしも「戦に強い」というイメージはありません。
それどころか、三方ヶ原の合戦では命からがら浜松城に逃げ帰る無残な結果に。小牧・長久手の戦いでも雪の北アルプスを越え、家康に援軍を求めた佐々成政の願いを聞き入れずに秀吉と和睦(実際には次男を人質にしていることから敗北的な結果)と、なんとか戦国の乱世を生き延びたといった感じ。
それでも「家康にとって、浜松在城17年間は、徳川300年の歴史を築くための試練の時代だったわけで、こうした試練を乗り越えて、天下を取ったことが大切」(浜松観光ボランティアガイドの飯尾貞彦さん)と、浜松があればこその出世だったと強調します。
水野忠邦も浜松城主だった!
もうひとつ、浜松城が出世城だという理由は、江戸に幕府が開かれて以来、「歴代城主のなかには幕府の要職に登用された者も多いことから、『出世城』と呼ばれるようになったのです」。
天保の改革で知られる水野忠邦も浜松藩主→大坂城代→老中という出世コースを歩んでいます。
たしかに浜松藩主から大坂城代という出世コースがあったようですが、東海道の要衝を守る浜松城の城主は譜代大名が務めるので、そもそも出自が出世街道だったともいえるのです。
現在の浜松城は、昭和33年に再建された鉄筋コンクリート製の復興天守。内部は資料館になっています。
浜松城 | |
施設名 | 浜松城/はままつじょう |
住所 | 静岡県浜松市中区元城町100-2 |
関連HP | 浜松城公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR浜松駅から遠鉄バスで6分、浜松城公園入口下車、徒歩すぐ。または、遠州鉄道鉄道線遠州病院駅から徒歩13分 |
ドライブで | 東名高速道路三方原スマートICから約5km |
駐車場 | 浜松城公園駐車場(55台/1時間30分まで無料、以降有料、施設利用による無料サービスあり) |
問い合わせ | 浜松城 TEL:053-453-3872 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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