木曽川の河畔の小山の頂に建つ犬山城。松本城、彦根城、姫路城、松江城と並ぶ国宝5天守のひとつで、築かれた年代は最古級という天守です。木曽川を隔てた対岸は中山道の鵜沼宿(うぬましゅく)で、濃尾平野北端の交通の要衝に位置していたことがわかります。犬山城は尾張国(愛知県)ですが、木曽川を渡ると美濃国(岐阜県)となります。
古地図で知る 犬山城の縄張り
上の地図は現文18世紀半ばの元文年間に描かれた地図。
木曽川を背にして40mの断崖の上に天守のある本丸、その南に杉の丸、樅の丸、桐の丸、松の丸(二の丸)が配されるという城割り。さらにその南側に大手口があり、大手門が建っていました。
大手門跡付近には、現在、大手門いこいの広場が整備されていますが、残念ながら大手門やその枡形は犬山市福祉会館の敷地などに変わっていて現存していません。
英泉の浮世絵で知る 犬山城の姿
渓斎英泉の木曽街道六拾九次シリーズの1枚。木曽街道とは中山道(なかせんどう)のことで、犬山の対岸が鵜沼宿(うぬまじゅく)。
江戸・日本橋から52番目の宿場です。
実はこの英泉の描いた鵜沼宿ですが、右の3層天守は犬山城。鵜沼にも鵜沼城という中世の城が山上にありましたが、天守はありませんでした。
さらに江戸時代の旅行ガイドブックとして人気を博した『中山道名所図会』の巻二の「犬山 針綱神社」の挿絵が、英泉の描いた構図にそっくり(渡し舟の位置まで同じ)。
そんなこともあってか、木曽街道六拾九次シリーズは、途中から歌川広重にバトンタッチされています。
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