「日本アルプス」の命名者は、ウォルター・ウェストン(Walter Weston)だと考える人もいますが、ウェストンは、それを広く紹介しただけ。ウェストンが登山を行なう際に、参考にしたガイドブックの著者、お雇い外国人のウィリアム・ガウランド(William Gowland)こそが、名付け親です。
日本を訪れたイギリス人が、アルプスのようだと感嘆
日本アルプスの名が初めて登場するのは、1891年に刊行された『HANDBOOK FOR TRAVELLERS IN JAPAN』(『日本旅行案内』)。
日本における西洋人の登山はイギリス駐日公使であるラザフォード・オルコック(Sir John Rutherford Alcock)が幕末の1860年9月11日(万延元年7月27日)に富士山に登頂したのが始まりで、明治新政府がイギリスから大阪造幣寮(現・大阪造幣局)に招聘した化学兼冶金技師のウィリアム・ガウランドは、1873年〜1877年の間に北アルプスの御嶽山、立山、槍ヶ岳に、さらにイギリス公使館通訳・駐日公使のアーネスト・サトウ(Sir Ernest Mason Satow)は1878年〜1881年に北アルプス・針の木峠、南アルプス・間ノ岳にも登頂し、日本にも近代登山の夜明けがもたらされました。
なかでも1878年7月28日、ウィリアム・ガウランドの槍ヶ岳登頂は、特筆すべきものです。
外国人として初登頂というのはもちらん、この感銘が日本アルプスという命名につながっているのです。
当時、イギリスをはじめ、ヨーロッパでは、旅行ブームもあって、上海から日本へと外洋航路の船でやってくるという訪日外国人も増え始めていたのです。
その多くは、横浜、神戸、東京・築地の居留地から鎌倉、日光、軽井沢、京都などへと足を伸ばし始めたことから、アーネスト・サトウは、海軍兵学寮の教師だったアルバート・ホーズ(Albert George Sidney Hawes=幕末に来日したイギリス軍人で御嶽山に登頂)とともに自身らが旅した日本の都市や山岳地帯の情報をまとめ、『A handbook for travellers in central & northern Japan』(中部・北部日本旅行案内』)を横浜のケリー社から自費出版しています。
当時の英語圏でのガイド書といえば、ダーウィンの『種の起源』なども出版していたマレーが有名で、アーネスト・サトウもなんとかマレーから出そうと尽力。
1884年の2版はマレーが版元になっています。
『日本旅行案内』3版で、Japanese Alpsが初登場!
1891年出版の3版以降は東京帝国大学の教師だったバジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)、英語教師のウィ リアム・ベンジャミン・メイソン(William Benjamin Mason)の改定編集で、『HANDBOOK FOR TRAVELLERS IN JAPAN』(『日本旅行案内』)という全国版になっています。
この3版で執筆協力したのが、日本の古墳研究にも力を注いだウィリアム・ガウランドだったのです。
この3版の概説には、越中から飛騨にかけては日本で有数の山々が連なる山岳地帯であり、「日本のアルプス」 (Japanese Alps)と称してもよいと記されていて、注目される山として、 「Tate-yama」(立山)、「Goroku-take」(黒部五郎岳か?)、「Yari-ga-take」(槍ヶ岳)、「Norikura」(乗鞍)だとし、立山の標高は9500ft(2896m)としています。
当時のエリア紹介の見出しを見ると、Mountains of Hida and Etchu(飛騨と越中の山脈)となっていて、まだ北アルプスの名はありません。
この『HANDBOOK FOR TRAVELLERS IN JAPAN』(『日本旅行案内』)は、日本を旅行する外国人の必須アイテムとなり、実は1888年に来日した宣教師ウォルター・ウェストンもこの3版を手に各地を旅したのです(改訂を重ねて9版まで発行、ウェストンも資料提供者となっています)。
さらにウェストンは、1896年、日本における登山体験を『Mountaineering and exploration in the Japanese Alps』(『日本アルプス:登山と探検』)をイギリス、ロンドンで出版し、Japanese Alpsの名は一躍有名になったのです。
日本アルプスを北アルプス(飛騨山脈)、中央アルプス(木曽山脈)、南アルプス(赤石山脈)の3アルプスに区分したのは、日本山岳会初代会長となった小島烏水(こじまうすい)で、八ヶ岳をアルプスに加えなかったのは、もともと外国人の登山対象になっていなかったことも大きく影響し、さらには火山ベースということもあり、氷河地形などアルペン的な要素に欠けるということがあったのだと推測できます。
氷河地形のカール(圏谷)が残されるのは、中部山岳地帯では、北アルプス、中央アルプス、南アルプスだけなのです。
ちなみに、登山家の小島烏水とウェストンは、偶然に出会いますが、この出会いが、日本山岳会結成へとつながっています。
【知られざるニッポン】vol.80 誰が名付けた「日本アルプス」!? | |
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