小諸市を流れる千曲川。千曲川が屈曲して流れる岬状の河岸段丘上に発展した町が宮沢集落です。長野県道142号八幡小諸線が南北に走っていますが、その県道にせり出す断崖上に鎮座するのが金刀比羅神社(金比羅神社=こんぴらじんじゃ/ことひらじんじゃ)です。ここが小諸眺望百選にも選定の絶景の地!
讃岐の金刀比羅宮から江戸時代後期に分霊を勧請
宮沢集落は、明治末頃に掘削されたと推測され3つの隧道(ずいどう=トンネル)が残されていますが、古くから開けた地であることは明らかです。
その集落にせり出す尾根の末端に築かれたのが金刀比羅神社。いわゆる金毘羅(こんぴら)さん。本社は四国・讃岐(さぬき)の金刀比羅宮。明治初年の神仏分離までは金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)として全国数多(あまた)の船乗りから尊崇された権現様です。
「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡(さんしゅうなかのごおり) 象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん) 一度まわれば・・・」(民謡『金比羅船々』)と江戸時代の後期には民謡も生まれ、お座敷遊びの歌としても大流行。
千曲川上流の佐久・小諸あたりでは、材木を筏(いかだ)に組んで流す「管流し」がメインで舟運は行なわれていませんでした。中山道塩名田宿(佐久市塩名田)には舟つなぎ石の残されていますが、これは舟を9艘つないで橋にした際に舟をつなぎ留めた岩。
というわけですから、舟運の船頭が無事を祈って建立というわけではなさそうです。
推測ですが、讃岐の金比羅参りをした人が、その分霊を勘定して鎮守、水とのつながりから農業神として祀ったのではないでしょうか。
金刀比羅神社は、江戸時代後期の文政5年(1822年)の創建。弘化4年(1847年)造営の神楽殿で断崖にせり出すように築かれています。
蓼科山側に臨む諏訪神社、浅間山を望む絶景の岩の上には寛永5年(1628年)創建の稲荷神社・蚕影稲荷(衣笠大明神)も建てられています。
宮沢の金比羅神社(金刀比羅神社) | |
名称 | 宮沢の金比羅神社(金刀比羅神社)/みやざわのこんぴらじんじゃ(ことひらじんじゃ) |
所在地 | 長野県小諸市山浦宮沢 |
電車・バスで | JR・しなの鉄道小諸駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 上越自動車道小諸ICから約8.5km |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 小諸市観光協会 TEL:0267-22-1234 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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