路面電車の走る町、愛知県豊橋市。
東三河の中心都市で、新幹線停車駅であるほか、JR飯田線、そして名鉄名古屋本線、豊橋鉄道の起点駅にもなっています。
吉田城の城下町であるとともに、東海道吉田宿の宿場町としても発展しました。
有名な「ヤマサちくわ」は、文政10(1827)年、吉田宿で創業。
そんな豊橋には、「市電マンホ-ル」(豊橋公会堂と市電)、「手筒マンホ-ル」(吉田城と手筒花火をモチーフ)、「船マンホ-ル」があって、豊橋市公会堂をくるりと一周すればすべてが見学できるという仕組みになっています。
今回紹介するのは、そのうちの人気ナンバーワン、「市電マンホ-ル」です。
絵柄は路面電車&豊橋市公会堂
江戸時代に吉田と呼ばれた地が、どうして豊橋になったのかといえば、三河国吉田藩という藩名が伊予国(愛媛県)吉田藩(宇和島藩の支藩)と同じ名前で紛らわしいから。吉田藩が2つになってはマズい、ということで吉田藩最後の藩主だった大河内信古(おおこうちのぶひさ=明治になって松平から大河内に家名変更)は、吉田藩知事として「豊橋、関屋、今橋」の3つの名を考え、明治新政府は「豊橋」を採用、豊橋藩が誕生したわけなのです。
そんな、豊橋ですが、「市電マンホ-ル」は中央に路面電車。そしてその背景に豊橋市公会堂がデンと構えています。
豊橋市公会堂は、大正デモクラシーの気運を背景に、大正11年に建設案を市議会に提案。昭和6年に竣工しています。設計は、中村與資平(なかむらよしへい)。中村は、静岡県長上郡天王村(現在の浜松市東区天王町)で生まれ、東京帝国大学建築学科を卒業後、辰野金吾と葛西萬司の共同経営による辰野葛西建築事務所で腕を磨きます。
中村與資平設計で現存する名建築としては、静岡県庁本館(国の登録有形文化財)が有名です。
静岡県庁の完成の6年前に竣工した豊橋市公会堂。こちらも国の登録有形文化財で、2つの塔の屋根にスパニッシュ・コロニアル・リバイバルと呼ばれるドームがのっています。1910~1920年代にカリフォルニア州で流行したスペイン統治時代の建築様式。アメリカ、テキサス州サンアントニオ(San Antonio)に建つSan Antonio Municipal Auditorium(サンアントニオ市営ホール)によく似ているのです。
ただし、豊橋市公会堂自身では「ロマネスク様式で正面両側のドーム頂上までの高さは、16mもあり市内の鉄筋コンクリート造りの近代的建築物の発祥ともいわれています」とロマネスク様式としています。
とはいえ、上の2つの画像を比較してもわかるように、両者はかなりソックリ。
豊橋市公会堂の着工は昭和5年(1930年)。サンアントニオ市営ホールの完成が1926年ですから、中村與資平がこのホールを意識していたことは確実でしょう。
さてさて、路面電車ですが、通称「豊橋市電」。豊橋駅前を起点に、赤岩口を結んでいます。市電と通称されていますが市営ではなく、正式名は豊橋鉄道豊橋市内線。
「ほっとラム」と呼ばれるT1000形車両も活躍しています。
レトロな3200形は、名鉄モ580形電車を改良したもの。
そしてもうひとつ、路面電車の手前に描かれた花は、「市の花」であるツツジ。
昭和35年5月、市民愛市憲章推進協議会の前身となる豊橋都市美協会が、一般市民からのアンケートを実施して「市の花」候補を「ツツジ」と決めて市に陳情。その結果5月30日開催の市議会総務調査会でこれを了承と、市民参加で決められた「市の花」なのです。道路脇などにも植栽され、路面電車からも眺められるという寸法。
豊橋駅前から路面電車にゆられて、市役所前へ。4つ目の電停である市役所前で下車すれば、公会堂は目の前です。駅前や、公会堂前なら市電とマンホールのツーショットも可能です。
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