静岡県のほぼ中央部に位置する藤枝市。
藤枝は、江戸時代には東海道五十三次の江戸から数えて22番目の宿場・藤枝宿の宿場町として発展。遠州の交通の要衝、商業地としても賑わいを見せました。
藤枝市のマンホールの絵柄は「市の花」の藤、「市の木」の松、「市の鳥」のウグイス、それに加えて富士山が描かれています。
藤枝の地名の由来
藤枝市に鎮座する古社、若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)は天平年間(729年〜749年)の創建。その若一王子神社の社伝によれば、後三年の役(1083年~1087年)で源義家が奥州へ向かう際、若一王子神社裏山の松の古木に藤の蔓がからまり、藤の花が咲き誇っている様子を見て、「松に花咲く藤枝の一王子 宮居ゆたかに 幾千代を経ん」と詠んだと伝えられます。実は、これが、藤枝の地名の起源とも。松の木にからむ藤の枝、そこに咲く藤の花と「マンホールの絵柄」そのままの逸話です。
周辺には若王子古墳群や志太郡衙(しだぐんが=古代の志太郡の役所)跡もあり、古くから拓けた地であることがわかります。
藤の名所、蓮華寺池公園
神社の建つ藤枝市若王子(にゃくおうじ)地区にある蓮華寺池公園(れんげじいけこうえん)は、周囲1.5kmの蓮華寺池を中心に整備された総面積28.8haの公園。
蓮華寺池は、もともと1613年(慶長18年)頃に灌漑用水のために造成された人工の池。山あいの沼地を周辺(若王子村・市部村・五十海=いかるみ)の村民が、堤防や水門を築いて普請したものです。
400余年が過ぎた現在、園内に約260本の藤があり2879平方メートルという藤棚のある東海道随一の藤の名所となっています。藤の他にも桜、ツツジ、蓮や菖蒲など季節の花も咲き、ジャンボすべり台やアスレチック、芝生広場なども整備されています。藤の見頃は例年4月下旬から5月上旬。
家康ゆかり田中城
ユニークな円形城郭でお城好きの注目を集める田中城の城下町でもあった藤枝宿。田中藩の歴代藩主は駿府城の西の守りということもあって、江戸幕府の重要な役職にも就いています。また、駿府城で隠居生活を送っていた徳川家康が鷹狩りのために田中城を訪れていたことや、家康が鯛の天ぷらを食べて腹痛を起こした家康死因の天ぷらの逸話の城としても有名です。
田中城本丸跡は都市化が進み、市立西益津小学校となっています。田中城の東南の下屋敷跡に庭園を整備し、田中城本丸櫓や仲間部屋(ちゅうげんべや)、茶室など移築・復元して「史跡田中城下屋敷」として公開しています。
大慶寺の「久遠の松」
藤枝市の「市の木」は松。藤枝市上青島地区の旧東海道には街道時代の名残となる松並木も現存しています。さらに、静岡県の天然記念物に指定されるのが大慶寺の「久遠の松」。田中城の祈願寺・大慶寺にある「久遠の松」は、日蓮の手植えと伝えられる高さ25m、枝張り28m、根周り7m、樹齢750余年というクロマツの大木。見事な枝振りを見上げるとその貫禄に圧倒されます。
藤枝というと、富士山から少し離れるのですが、蓮華寺池公園の富士見平や、ジャンボすべり台頂上部もビューポイントになっています。藤枝市ではビューポイントマップを作成して、PRしています。
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