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東海道屈指の名物! 清水屋の「小饅頭」

東海道島田宿は、対岸の金谷宿ともに、大井川の川留めで繁栄した宿場です。
大井川の通常の水位は、帯の位置ので帯通2尺5寸(約76cm)。これが脇まで増水の脇通4尺五寸(約136cm)を超えると川留めとなりました。
大井川の増水による川留めは、年平均は50日。慶応4年(1868年)には28日という最長記録も生まれています。
こうした川留めが様々な文化をももたらしました。
そのひとつが、島田宿名物、「清水屋」の小饅頭です。

松平不昧公が一口サイズにとアドバイス!

享保年間(1722年頃)、清水屋5代目の伝左衛門は、川留めで長く島田宿に留まっていた紀州浪人・置塩露庵(おしおろあん)と親しくなります。
伝左衛門は、置塩露庵からこの甘酒皮の饅頭づくりの秘法を伝授され、早速、店に並べます。

その饅頭が、参勤交代途中の出雲松江藩第7代藩主・松平治郷(まつだいらはるさと)の目にとまります。
この殿様、茶人として名高い松平不昧公(まつだいらふまいこう)のこと。
不昧公の治める松江には、「山川」、「若草」など不昧公好みといわれる茶菓子が残されています。

その松平不昧公は、「清水屋」の酒饅頭を食して、「一口で食べられる大きさにすべし」と助言します。
その方が、品もあるし、食べやすいということでしょう。一口団子ならぬ、一口饅頭の誕生です。

その助言に従ったところ、「海道一の饅頭」という評判を得るように。

米麹を使った生地はふっくらとして、まろやかな風味。香ばしい生地の中身は、特製のこしあん。
このこしあんを、昆布を入れて羊羹で巻いた「黒大奴(くろやっこ)」という銘菓も明治時代に考案された銘菓です。

松平不昧公は、いつ清水屋に立ち寄った!?

ちなみに松平治郷が藩主だったのは、明和4年11月27日(1768年1月16日)〜文化3年3月11日(1806年4月29日)。
松平治郷は、寛永4年(1751年)2月14日、江戸・赤坂の松江藩邸で生まれ、明和元年(1764年)11月1日、14歳の時に江戸城に初登城し将軍・徳川家治に拝謁。
明和3年(1766年)8月5日、16歳にして初めて江戸を発し故郷の出雲国松江に出向きます。

明和5年(1768年)、18歳で初めて石州流茶道を3世伊佐幸琢に学んでいます。茶菓子に造詣を深めるのもこの頃から。
天明8年(1788年)9月18日、38歳の時に参勤交代の途中、東海道見附宿(現在の静岡県磐田市中心部)で播磨姫路城主・酒井忠以(宗雅)と行き会い、茶事を催しています。

以上の年表を見て想像するに、「清水屋」の酒饅頭を「小饅頭」にと助言したのは、多分、天明8年(1788年)頃のことではないでしょうか。

清水屋
店名 清水屋/しみずや
住所 静岡県島田市本通2-5-5
関連HP 清水屋公式ホームページ
電車・バスで JR島田駅から徒歩5分
問い合わせ 清水屋 TEL:0547-37-2542/FAX:0547-36-3601
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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