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白糸の滝が「世界文化遺産」に登録された理由とは!?

1万年前に湧出した白糸溶岩流の末端に位置する静岡県富士宮市の白糸の滝。世界文化遺産の構成要素のひとつになっています。富士山は自然遺産ではなく、文化遺産。なのに白糸の滝が登録されたのはなぜなのでしょうか? その理由を解き明かします。

溶岩流と泥流の間から伏流水が滝となって落下!

白糸の滝は、高さ約20m、長さ約120mの溶岩流末端の断崖から富士山の伏流水が滝となって流れ出しています。
滝といえば、川の流れが崖のところで落下するものですが、白糸の滝は、水流の豊富な中央部を除いて、大半の水が崖の岩間から湧出しています。

断崖の下半部は角れきを多く含んだ泥っぽい地層(古富士泥流層=古富士火山が山体崩壊を起こして流出した泥流の層)、上部は3層の溶岩流(玄武岩)で、平均日量15万トン以上の湧水量で、約10~15年前に降った雨や雪が流れ出したものだとか。

こうしてみると自然遺産的な要素が強い白糸の滝ですが、無理矢理、文化遺産にしてしまったのか? と疑問も湧きます。

溶岩流と泥流層との隙間から伏流水が湧出

白糸の滝が世界遺産に登録された理由とは!?

世界遺産・富士山の正式名は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」。
つまり、白糸の滝が世界遺産であるには、富士講などの信仰の対象か、あるいは芸術の源泉となっていればいいのです。

富士の巻狩りの際に白糸の滝に立ち寄った源頼朝は「この上にいかなる姫やおはすらん おだまき流す白糸の滝」と歌っています。
「おだまき」(苧環)は紡いだ麻糸を巻いて玉(糸車)にしたもの。
「糸車から流れ出る糸のように滝の水が流れている、滝の上には姫君が糸を紡いでいるのだろうか」
と、頼朝はかなりのロマンチストです。

頼朝は「おだまき流す」と表現した白糸の滝。つまりは、鎌倉時代にはすでに白糸の滝と呼ばれていたことに

この頼朝の巻狩の話は、戦国時代にも有名で、織田信長の天下布武を記録した『信長公記』(巻15)に、
「根かたの人穴御見物。爰(ここ)に御茶屋立ておき、一献進上申さるゝ。大宮の社人・社僧罷り出で、道の掃除申付け、御礼申上げらる。昔、頼朝かりくらの屋形立てられしかみ井手の丸山あり、西の山に白糸の滝名所あり」
と記されています。信長は人穴を見学後、白糸の滝にも足を伸ばしています。
当時、すでに人穴、白糸の滝が有名だったことがわかります。
まあ、信長が案外旅好きで、名所巡りをしていたこともわかります。

実は、白糸の滝が世界文化遺産に登録されたのは、「信仰の対象」だったから。
富士講の開祖として崇拝された長谷川角行(はせがわかくぎょう/1541年〜1646年)は、人穴での修行(4寸5分角の角材の上に1000日間爪立ちした苦行/角行の名の由来)と合わせて水行を行なった地が白糸の滝と推測されているのです。

つまり、富士講の信仰地・修行の場として江戸時代には多くの道者がこの白糸の滝に水垢離(みずごり=冷水を浴びて身体を清めること)にやって来たのです。

幕末の万延元年(1860年)発行の富士周辺の旅行ガイド書『富士山道しるべ』に記された白糸の滝
白糸の滝
名称 白糸の滝/しらいとのたき
住所 静岡県富士宮市原上井出
関連HP 富士宮市公式ホームページ
電車・バスで JR富士宮駅から富士急行バス白糸の滝行きで30分、終点下車、徒歩5分で展望台。またはJR新富士駅から富士急行バス快速・特急富士急ハイランド・富士山五合目行きで58分、白糸滝入口下車、徒歩15分
ドライブで 新東名高速道路新富士ICから約17.1km。または、東名高速道路富士ICから約19.2km
駐車場 市営白糸の滝駐車場(100台/有料)
問い合わせ 富士宮市観光協会 TEL:0544-27-5240
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

白糸の滝

2017年4月19日

 

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