掩体壕(えんたいごう)とは滑走路近くに飛行機を隠しておくコンクリート製の格納庫。軍事施設への爆撃から飛行機を守るため、頑丈な格納庫が造られたのです。それが千葉県館山市宮城地区に現存しています。
本土防衛の航空基地が置かれた館山
横須賀海軍航空隊の機能分散を図るため、南房総先端部に近距離哨戒・近距離対艦迎撃のために昭和5年に設置された基地が館山海軍航空隊。
関東大震災によって隆起した浅瀬を埋め立て造られた館山飛行場の完成とともに配備された海軍5番目の航空隊です。
これにより、横須賀は研究航空隊、館山に実戦部隊という役割分担が図られました。
昭和11年に長距離作戦が可能な木更津海軍航空隊が設置されて以降は、連合艦隊出撃に際しての東京湾口200海里圏内対潜哨戒(昭和16年)など、首都圏の防衛に任務が移されました。
昭和18年、昭和19年には沿海・近海に出没する潜水艦への攻撃などに従事しました。
大戦末期の昭和20年3月15日には陸上攻撃機の完熟訓練と水上偵察機による東京湾口哨戒を主任務とする航空隊へと転身しています。
現在、海上自衛隊館山航空基地となり、日本最大規模のヘリコプター基地なども造られ、有事や災害に備えています。
頑丈な掩体壕も都市化の波には勝てなかった!
さてさて、掩体壕(英語ではBunker=バンカー)ですが、
「館山市沼から香にかけての地区にはかつての海軍航空隊関連の射撃場跡や、飛行機の部品や弾薬、食料、燃料などを保管するためのレンガ倉庫跡、そして掩体壕とさまざまな戦争遺跡が残れています」(館山市教育委員会生涯学習課)とのこと。
昭和14年の記録によれば、館山海軍航空隊には、97式艦上攻撃機を中心に124機の飛行機がありました。
配備された航空機を守るため、館山海軍航空隊と洲ノ埼海軍航空隊の周辺には40以上の掩体壕が築かれたのです。
そのうち現存するのここで紹介する宮城地区と、香(こうやつ)地区のわずかに2ヶ所。
関東近県でも同じ千葉県の茂原市の茂原海軍航空基地跡、千葉県柏市の柏陸軍飛行場東側誘導路跡、千葉県印西市の印旛陸軍飛行場関連、千葉県匝瑳市春海と旭市鎌数に海軍香取航空基地の掩体壕、茨城県の海軍航空隊・神之池基地跡(桜花公園)、霞ケ浦海軍航空隊のものと推測できる茨城県阿見町など、現存する数は限られています。
飛行機を隠した掩体壕を見学!|館山市 | |
所在地 | 千葉県館山市宮城 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag