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富士山信仰のルーツ! 山宮浅間神社に参拝

富士宮市の富士山本宮浅間大社から富士山方向に6kmほどいったところにあるのが山宮浅間神社。
富士山本宮浅間神社のルーツ(元宮)とされる場所で、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつ。
その山宮浅間神社には古代の信仰を残す不思議な神域です。

山宮浅間神社には◯◯がない!?

山宮浅間神社

富士宮市が市内のスーパーで男性20人、女性30人を対象に、
「山宮浅間神社にないのものは?」尋ねました。
答えは社殿(本殿)なのですが、神社にあるものといってまず連想するものは鳥居と賽銭箱らしく、その2つを答える人が多かったのだとか。

富士山を遥拝(ようはい=遠く離れた所から拝むこと)するための遥拝所なので、社殿がないというわけで、正解は社殿。
もともと富士山信仰は、富士を神と崇(あが)めることから始まっています。
つまり、古い富士山祭祀のスタイルを残しているのが山宮浅間神社。

それもそのはずで、ここが富士山信仰の大神が最初に奉斎された場所。現存する全国の浅間神社の中で一番古いのがここ、山宮浅間神社というわけなのです。

この先が山宮浅間神社の神域

神社は青沢溶岩流の末端に鎮座

山宮浅間神社は、青沢溶岩流の末端に位置しています。
青沢溶岩流は西暦400年〜600年、標高2700m付近(御中道より標高が高い場所)に位置する火口列(割れ目噴火)から流出した溶岩流。
実は、富士山は紀元前200年頃以降には山頂噴火は起きなくなり、代わって山腹割れ目噴火を繰り返すようになっているのです。

富士山本宮浅間大社の社伝では、もともと富士山麓の山足の地(富士山麓の適所を選んで祭祀を行なっていた)にて祀られていたものが、山宮(現・山宮浅間神社)に磐境 (いわさか)を設け浅間大神(あさまのおおかみ)を祀り、大同元年(806年)、平城天皇の命により大宮の地(現社地)に社殿を造営したのだという。

7世紀になって、富士山が少し鎮まったので、溶岩流の末端に磐境を設け、山が静まることを祈ったのです。磐境(いわさか)とは、神が降臨される依代(よりしろ)のこと。こうした古代信仰を、磐境祭祀(いわさかさいし)と呼んでいます。

山宮浅間神社には、「何度も本殿を建立しようとしたが、その度に災害が起きて建てられなかった」
との伝承もあります。

国土交通省「赤色立体図」より
富士山の遥拝所。内部の石列は、主軸が富士山方向に向いています

富士山を拝む古代祭祀の地

遙拝所は、南北15m、東西8mの長方形で、30~40cmの溶岩を用いた石列によって組まれています。
富士山を拝む方向に祭壇が置かれ、向かって左側に祭儀を齋行する大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・社僧席が設けられています。
発掘調査では、12世紀の土器(カワラケ)が出土しています。
残念ながら、現在、文化財保護のため遥拝所の玉垣内へは入ることは不可です。

明治7年まで、祭神が春と秋に富士山本宮浅間大社と山宮浅間神社を往復する『山宮御神幸』が執り行なわれていました。
『山宮御神幸』の道(御神幸道50町=5.45km)には、元禄4年(1691年)に1町毎に標石が置かれたことからも、富士山本宮浅間大社の元宮だったことがしのばれます。
残念ながら、その時置かれた標石の大半が現存せず、御神幸道の正確な道筋も明らかになっていません。

参道途中の段差こそが溶岩流の末端にあたります

ちなみに最初に紹介したスーパーでの調査、正解者は50人中、14人。
しかも実際に、山宮浅間神社に行ったことのある人は、50人中、たった6人。
(富士山が世界遺産になった後の地元・富士宮での調査です)

富士山信仰のルーツで、聖地(パワースポット)なのに穴場。
そんな感じの山宮富士浅間神社です。

山宮浅間神社
施設名 山宮浅間神社/やまみやせんげんじんじゃ
住所 静岡県富士宮市山宮740
関連HP 富士宮市公式ホームページ
電車・バスで JR身延線富士宮駅からタクシーで15分
ドライブで 新東名高速道路新富士ICから約12km
駐車場 第1駐車場(10台/無料)・第2駐車場(5台/無料)
問い合わせ 山宮浅間神社案内所 TEL:0544-58-5190
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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