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日本三古碑とは!?

日本三古碑

律令時代の到来とともに、各地に築かれた石碑のうち、建立の年代が特定されたもののうち、もっとも古い3つの石碑が日本三古碑。多賀城碑(宮城県多賀城市)、那須国造碑(栃木県大田原市)、多胡碑(群馬県高崎市)の3ヶ所です。それぞれ国の重要文化財、国宝、国の特別史跡に指定されています。

多賀城碑|宮城県

所在地:宮城県多賀城市市川田屋場
建立年:天平宝字6年(762年)
建立者:藤原朝狩(ふじわらのあさかり)
碑文の内容:多賀城(日本三大史跡)の改修を記した記念碑
当時、対・蝦夷(えみし=北東北を拠点に中央政権の支配に抵抗した部族)防衛の拠点で、京(平城京)から多賀城までの距離なども記されています
文化財指定:国の重要文化財

多賀城碑

宮城県多賀城市にある奈良時代に立てられた石碑が多賀城碑。多賀城跡の外郭南門から30mほど城内に入ったところに立つ古代の石碑で、那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)、多胡碑と並ぶ「日本三古碑」のひとつ。天平宝字6年(762年)、藤原朝狩(ふ

多賀城

宮城県多賀城市、仙台平野が一望できる丘陵の末端を利用して造られた古代の城跡で、奈良・平安時代の東北地方の政治・軍事・文化の中心地だったの多賀城跡。東北から北海道を領有していた蝦夷(えみし)を制圧するため、724(神亀元)年、按察使(あぜち=

那須国造碑|栃木県

所在地:栃木県大田原市湯津上430(笠石神社)
建立年:文武天皇4年(700年)
建立者:意斯麻呂(おしまろ)
碑文の内容:持統天皇3年(689年)に那須国造で評督に任ぜられた那須直葦提(なすのあたいいで)の事績を、息子の意斯麻呂が顕彰
文化財指定:国宝

那須国造碑(笠石神社)

栃木県大田原市湯津上、那珂川沿いを走る国道294号近くに鎮座する笠石神社境内にあるのが那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)。国宝に指定される飛鳥時代の貴重な石碑で、宮城県多賀城市の多賀城碑、群馬県高崎市吉井町の多胡碑とともに日本三古碑に数

多胡碑|群馬県

所在地:群馬県高崎市吉井町池1095
建立年:和銅4年(711年)頃
建立者:不詳
碑文の内容:上野国(群馬県)で14番目の郡の多胡郡が設置された公の事跡を記念した碑(朝廷の最高機関である弁官局からの命令を記したもの)
文化財指定:国の特別史跡

多胡碑(吉井いしぶみの里公園)

那須国造碑(栃木県大田原市/国宝)、多賀城碑(宮城県多賀城市/国の重要文化財)と並び日本三古碑に数えられる古代碑が吉井いしぶみの里公園にある多胡碑(たごひ)。さらに金井沢碑(高崎市山名町)、山ノ上碑(高崎市山名町)とともに「上野三碑」のひと

多胡碑記念館

日本三古碑のひとつ多胡碑に隣接して建てられた博物館が多胡碑記念館。なぜひとつの碑に博物館が必要かというと、多胡碑を一目見ようと全国から訪れる人が多いから。また近年、多胡碑の周辺から多胡郡の郡衙(ぐんが=古代の役所)の正倉とみられる倉庫群の跡

日本三古碑とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日本三大史跡とは!?

史跡とは、「貝塚、古墳、都城跡、城跡、旧宅、その他の遺跡で、我が国にとって歴史上または学術上価値の高いもの」のうち重要なもの(文化財保護法)。そのなかから選ばれた3ヶ所が日本三大史跡で、多賀城跡(宮城県多賀城市)、平城宮跡(奈良県奈良市)、

 

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