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樺崎砲台跡

樺崎砲台跡

安政2年(1855年)、宇和島藩が外国船監視、宇和島湾防備を目的に海を埋め立てて築いた台場の跡が樺崎砲台跡。宇和島藩では高野長英の設計の御荘久良砲台(みしょうひさよしほうだい)に次ぐ台場建設で、青銅製大砲5門が設置されました。元治元年(1864年)には、湾の対岸に戎山砲台(えびすやまふだい)も築かれています。

幕末に宇和島に築かれた洋式砲台

嘉永元年(1848年)、高野長英を密かに招き、高野長英が去った後、村田蔵六(後の大村益次郎)を招聘するなど8代藩主の伊達宗城(だてむねなり)とその後ろ盾だった7代藩主・伊達宗紀には進取の気性があり、開明的な政策をとっています。

安政元年(1854年)の地震による疲弊で、樺崎砲台の建設計画はいったん中断されていましたが、二宮長兵衛在明の出資申し出により、樺崎砲台築造に着手。

1866(慶応2)年、宇和島に来航したイギリス東洋艦隊の「プリンセス・ローヤル」(旗艦3129t、キング提督乗艦)、「サラミス」(835t、イギリス公使パーク乗船)、「サーペント」(測量船)に対して礼砲を撃ったことが、アーネスト・サトウの日記(『一外交官の見た明治維新』)に記載されています。

樺崎砲台跡
名称 樺崎砲台跡/かばさきほうだいあと
所在地 愛媛県宇和島市住吉町2-4-34
関連HP 宇和島市公式ホームページ
電車・バスで JR宇和島駅から徒歩20分
ドライブで 松山自動車道西予宇和ICから約19km
駐車場 宇和島市立歴史資料館駐車場(4台/無料)
問い合わせ 宇和島市文化・スポーツ課 TEL:0895-24-1111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

宇和島市立歴史資料館

2018年11月16日

 

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