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鼻栗瀬戸展望台

鼻栗瀬戸展望台

広島県と愛媛県の県境となる瀬戸内海の島々、芸予諸島の愛媛県今治市側にある伯方島(はかたじま)と大三島の間の幅300mほどの狭い海峡が鼻栗瀬戸。瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)の唯一のアーチ橋である大三島橋が架かっていますが、鼻栗瀬戸とそこに架かる大三島橋を眺める展望台が鼻栗瀬戸展望台で、海峡の大三島側にあります。

海峡には最大時には時速8ノットにもなる潮流が流れる!

平成26年の本屋大賞を受賞した和田竜の長編歴史小説『村上海賊の娘』は、村上水軍の当主・村上武吉の娘・景(きょう)を描いたものですが、毛利家の武将(児玉就英、乃美宗勝)が、能島村上に援助を乞うために、忠海から能島に向かう場面で、この鼻栗瀬戸が登場しています。
「その狭さは、この関船が通るのかと錯覚してしまうほどである。「鼻栗瀬戸にござるわ」宗勝はこの海の難所の名を口にした。」(『村上海賊の娘』第1章)

この狭い海峡に干満差4m、時速8ノット(15km/h)という激しい潮流が流れており、海の難所として恐れられてきました。
瀬戸内海航路は、今も昔も、芸予諸島の島々の間を縫うように走るため、村上水軍はその水先案内人を務め、そして早い潮流が堀の役割をするため、島々に城を築いて一帯を支配したのです。

干満差が4mもあるので、干潮の際には花崗岩の海食崖が露出します。
満潮の時にはその海蝕崖が海に没してしまいます。

鼻栗瀬戸展望台は皇太子徳仁親王が卒論研究のために訪れた場所。
皇太子徳仁親王の学習院大学卒業論文、学習院大学院の修士論文は、どちらも「中世瀬戸内海水運」がテーマ。
「鼻栗の瀬戸に 架かりし橋のぞみ 潮乗りこえし 舟人偲ふ」は、皇太子徳仁親王の詠まれた句。
上浦町(現・愛媛県今治市上浦町)出身の書道家、村上三島筆による句碑が立っています。

鼻栗瀬戸展望台
名称 鼻栗瀬戸展望台/はなくりせとてんぼうだい
所在地 愛媛県今治市上浦町瀬戸4658-2
関連HP 今治市公式ホームページ
電車・バスで JR尾道駅からしまなみライナーで大三島BS下車、島内バス(宮浦港-出走線)に乗り換え7分、瀬戸下車、徒歩20分
ドライブで 西瀬戸光自動車道(しまなみ海道)大三島ICから約5.6km
駐車場 なし
問い合わせ 今治市役所上浦支所 TEL:0897-87-3000/FAX:0897-87-2237
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大三島橋

2018年12月22日

 

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