愛知県北設楽郡設楽町にある臨済宗妙心寺派の寺、福田寺(ふくでんじ)。境内には武田信玄を葬ったと伝える信玄塚、馬場美濃守の供養塔があり、信玄の墓所伝承地のひとつ。武田信玄は、天正元年(1573年)、野田城(現・新城市豊島)を攻略の際に病に倒れ、甲斐に向かう途中に息絶えたと伝えられています。
武田信玄が没したという伝承の地
福田寺の記録によれば「天正元年6月26日甲州太守武田大膳大夫信玄法性院殿機山玄公大居士 当所 尊体を埋む」とあり、この寺に埋葬されたと伝えられているのです。
信玄の墓所は数多いのですが、ここもそのひとつ。
野田城からは国道257号で40km弱の場所なので、信玄勢力下の福田寺で療養し、息絶えたという伝承は現実的で、かなり有力な墓所だといえるのです(当時の行軍距離は1日平均20km~25km)。
小さな五輪塔が信玄の墓といわれ、五輪塔の横には馬場美濃守(馬場信春=信玄没後、武田勝頼を支え、長篠の戦いで、勝頼の退却を最後尾で守備し討ち死に)の供養塔も立っています。
福田寺は、応永9年(1402年)の開山。
信玄の終焉の地としては、近隣にも長野県側(信濃国側)の阿智村駒場と愛知県側(三河国側)の根羽村横畑もあって定かでありません。
元禄時代の『甲陽軍艦』には、「ねばねの上村と申す所にて御他界」と記され、根羽村説も有力。
田口の福田寺で死去し、根羽村横畑埋葬という説もあり、自分の死を3年間隠すように遺言したとされることから、今もその終焉の地は謎に包まれています。
福田寺(信玄塚) | |
名称 | 福田寺(信玄塚)/ふくでんじ(しんげんづか) |
所在地 | 愛知県北設楽郡設楽町田口居立19 |
関連HP | 奥三河観光協議会公式ホームページ |
ドライブで | 東名高速道路豊川ICから約42km。新東名高速道路新城ICから25km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 福田寺 TEL:0536-62-1555 |
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