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長田父子はりつけの松

長田父子はりつけの松

主君・源義朝(源頼朝の父)を屋敷近く、法山寺(現・愛知県美浜町)の湯殿で暗殺し、平清盛に取り入ろうとした長田忠致(おさだただむね)・長田景致(おさだかげむね)親子。頼朝が平家追討に立ち上がると源氏に与するという処世ですが、平家滅亡後に長田屋敷近くで磔(はりつけ)になったと伝えられ長田父子はりつけの松があります。

敵(かたき)の長田父子を頼朝が処刑

平家追討で手柄を立てていた長田父子ですが、源頼朝は恩賞を与えると呼び出して、殺害したと伝えられています。
「ながらえし命ばかりは壱岐守 美濃尾張をばいまぞたまわり」という辞世の句がありますが、平清盛から与えられた壱岐守はまだしも(壱岐は「生を」の意も)、美濃尾張は「身の終わり」をかけていることから、いかにも後世の作(美濃と尾張を欲したと『平治物語』に記されています)。

処刑の場も『保暦間記』によれば建久元年(1190年)10月の源頼朝上洛の際に、美濃で斬首とあり、定かでありません。
上洛の際に源頼朝は知多半島に足を伸ばし、野間の源義朝最期の地を訪れているから、その際に磔になったとも推測できます。
野間では長田父子を亡父の墓前に引き出し、板に逆礫けにし生木で打ち殺したとも伝承され、はりつけの松の北側が長田屋敷の跡地と伝えられています。

名称 長田父子はりつけの松/おさだおやこはりつけのまつ
所在地 愛知県知多郡美浜町野間松下
電車・バスで 名鉄野間駅から徒歩10分
ドライブで 南知多道路南知多ICから約6km
問い合わせ 美浜町広報情報係 TEL:0569-82-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

源義朝暗殺湯殿跡(法山寺)

平治元年(1159年)の平治の乱、後白河院政派で平清盛に敗れた源義朝(みなもとのよしとも=源頼朝の父)は、東国に下る途中、尾張国(愛知県)知多半島の法山寺(現・愛知県知多郡美浜町)の湯殿で、入浴中に暗殺されています。その跡が源義朝暗殺湯殿跡

 

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