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海辺の文学記念館

海辺の文学記念館

愛知県蒲郡市、竹島へと渡る竹島橋のたもと、竹島園地横にあるお洒落な洋館が海辺の文学記念館。蒲郡は景勝地で雨が少ない(雨天日数は8%程度)ことから、保養地としても注目され、とくに大正・昭和期には多くの文化人が集う場になりました。こうした文人たちの足跡を展示した記念館で、無料で見学ができます。

常磐館文化を今に伝えるミュージアム

名古屋の繊維問屋滝兵(現・タキヒヨー)5代目・滝信四郎が明治45年に「料理旅館 常磐館」(後の蒲郡ホテル、現・蒲郡クラシックホテル)を創業、その眺めが格別だったことから、大正11年、菊池寛の作品『火華』(大阪毎日新聞に連載)に常磐館が取り上げられ、志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、川端康成、井上靖など文人たちが訪れるようになったのです。
「蒲郡の海! それは、瀬戸内海の海のやうに静かだ。低い山脈に囲まれ、その一角が僅かに断(たゝ)れて、伊勢湾に続いて居る。風が立つても、白い波頭が騒ぐ丈(だけ)で、岸を打つ怒濤は寄せては来ない」(『火華』より)

昭和9年3月1日には、滝信四郎の寄付金10万円、大蔵省30万円の出資で蒲郡ホテル(現・蒲郡クラシックホテル)が創業(国際リゾートとしてのホテルが建築されたのも、常磐館に「紳士淑女」が集まっていたから)。
昭和12年には海岸に竹島館(大衆旅館)が新築されています。

山本有三は昭和5年に、静養地として蒲郡を訪れています。
昭和24年に発表された小説『無事の人』には、「目の前には、緑の海が美しく広がっていた。遠くに、かすみのように、淡くたなびいて見えるのは、このうち海を抱いている渥美半島であろう。あちこちに、いくつも島がちらばっている。近くには、竹島がくっきりと姿をあらわしていた」と記されています。

「料理旅館 常磐館」は、昭和55年に廃業し、昭和57年に建物も取り壊されてしまいましたが、「常磐館文化」を後世に継承するため、常磐館跡地に海辺の文学記念館が建設されたのです(平成9年5月11日開館)。
建物は、明治43年に蒲郡町に建てられた岡本医院診療所を移築復元したもの。
展示される十二支透彫額は、蒲郡ホテルの衆美堂(現・蒲郡クラシックホテル六角堂)軒下の彫刻作品。

館内には、蒲郡市出身の直木賞受賞作家・宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ/『夏姫春秋』で第105回直木賞受賞)、芥川賞受賞作家・平野啓一郎(ひらのけいいちろう/『日蝕』で第120回芥川龍之介賞受賞)の作品なども展示。
有料ですが、お抹茶(お菓子付)サービスもあります。

蒲郡を愛した文人たち・蒲郡が舞台の作品

館内に復元された常磐館の部屋

川端康成=『驢馬にのる妻』(大正14年)、『旅への誘い』(昭和15年)
「丘の南は四月のやうに霞んで見える、二つの半島に抱かれた、暖かい蒲郡の海だ。鶴が鳴いた」(『驢馬にのる妻』)/蒲郡の温暖な冬の自然を主人公の妻に対する冷酷な対応と対比させています
与謝野晶子=「蒲郡 ひそかにそだつ 打ちかくる 波の音きく ながき橋かな」(昭和10年)
高濱虚子=「春の波小さき石にちょっと躍り」(昭和14年第1回日本探勝会)
志賀直哉=『内村鑑三先生の憶い出』(昭和16年)
谷崎潤一郎=『細雪』(昭和21年)/見合いの帰りに蒲郡を旅行
山本有三=『無事の人』 (昭和24年)/戦争という過酷の状況の中、異世界であるのどかな蒲郡の海辺の光景を描いています
三島由紀夫=『宴のあと』(昭和34年)/主人公の新婚旅行先が蒲郡

名称 海辺の文学記念館/うみべのぶんがくきねんかん
所在地 愛知県蒲郡市竹島町15-62
関連HP 蒲郡市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR・名鉄蒲郡駅から徒歩15分
ドライブで 東名高速道路音羽蒲郡ICから約10km
駐車場 竹島有料駐車場(214台/平日は無料、土・日曜、祝日、GWは有料)
問い合わせ TEL:0533-67-0070
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

竹島(蒲郡)

愛知県蒲郡市、三河湾国定公園屈指の景勝地が蒲郡沖にある竹島で、65科238種の暖地性植物が繁茂し国の天然記念物に指定されています。周囲約600m、標高22mの竹島は、全長387mの竹島橋で陸と結ばれています。周囲620mの島を一周する遊歩道

 

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