愛知県名古屋市中区錦3丁目、久屋大通公園の名古屋テレビ塔(中部電力MIRAI TOWER)南東側に立つのが、蕉風発祥の地碑(しょうふうはっしょうのちひ)。蕉風とは松尾芭蕉とその門人の俳風のこと。貞享元年(1684年)、故郷・伊賀上野から江戸に向かう途中、連句の会を催しています。
芭蕉が俳諧の新しい地平を創造した地
41歳の芭蕉は、後に『野ざらし紀行』(松尾芭蕉の初めての文学的な旅)となる旅の途中、大垣から熱田を経由して名古屋城下に入り、岡田野水(おかだやすい)、山本荷兮(やまもとかけい)、坪井杜国(つぼいとこく)、加藤重五(かとうじゅうご)、坪井杜国(つぼいとこく)、小池正平ら、名古屋の青年俳人と連句の会を催し、発句に「狂句 こがらしの 身は竹斎に 似たる哉」と詠んで、句集『冬の日』を刊行(山本荷兮が選集を作成)。
この『冬の日』こそ芭蕉がそれまでは言葉遊びでしかなかった俳諧を、初めて芸術の領域まで向上させたといわれる句集で、芭蕉が談林俳諧から決別して俳諧の新しい地平を創造したことを表しています。
歌仙を興行した場所は、「宮町通久屋町西へ入ル南側傘屋久兵衛借宅」とのことで、現在の場所でいえば、名古屋テレビ塔(中部電力MIRAI TOWER)東北側の脚の前あたりということに。
昭和45年に建立されたのが、蕉風発祥の地碑。
狂句 こがらしの 身は竹斎に 似たる哉 芭蕉
たそやとばしる 笠の山茶花(さざんか) 野水
有明の主水に酒屋つくらせて 荷兮
かしらの露をふるふあかむま 重五
鮮のほそりすゝきのにほひなき 杜国
日のちりぢりに野に米を刈る 正平
坪井杜国は、芭蕉の若い愛人、あるいは麗しき師弟愛の関係(あくまでも男性です)とされ、貞享2年(1685年)、手形で空米を売った咎で三河国渥美郡畠村(渥美半島)に追放となった際には、わざわざそこを訪ね「鷹一つ見付てうれし いらご崎」と詠み、さらには『笈の小文』は、伊勢で合流したふたりの密会の旅にもなっているのです。
芭蕉と尾張との結びつきは強く、とくに鳴海宿(なるみしゅく)には何度も訪れています。
貞享4年(1687年)の句会では、「星崎の闇を見よやと啼く千鳥」と詠み、自ら筆を執って「千鳥塚」と名付ける碑を建立。
これは生存中唯一の、しかも自筆の碑という貴重なものとなっていますが、その背景には経済力のあった鳴海の連衆は、奥の細道などの紀行のパトロンにもなっていたのです。
蕉風発祥の地碑 | |
名称 | 蕉風発祥の地碑/しょうふうはっしょうのちひ |
所在地 | 愛知県名古屋市中区錦3-6-46地先 |
電車・バスで | 名古屋市営地下鉄久屋大通駅、栄駅から徒歩5分 |
ドライブで | 名古屋高速都心環状線東新町ランプから約400m |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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