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気象塔兼展望塔(旧陸軍伊良湖射場)

気象塔兼展望塔(旧陸軍伊良湖射場)

愛知県田原市小中山町、伊良湖半島(いらごはんとう)の先端部、のどかな田園地帯にあるコンクリート造りの遺構が、気象塔兼展望塔(旧陸軍伊良湖射場)。陸軍技術研究所伊良湖試験場(通称・伊良湖射場)の戦争遺跡で、戦前、この地で伊良湖水道に向けて、大砲の試射が行なわれていました。

六階建てと通称される塔と無線電信所が現存

気象塔兼展望塔と無線電信所の遺構(私有地のため外観のみ見学可能)

愛知県川の伊良湖岬(いらごみさき)には、明治34年、火砲の性能向上に伴って陸軍が大砲の実射試験場を開設。
伊良湖岬先端の集落の住民は、明治38年〜明治39年、全戸が東側の内陸方向に移転させられ、陸軍技術研究所伊良湖試験場が拡張(10kmの射線を確保)されています。
これが伊良湖射場と通称される施設で、大砲・弾薬の研究、効力実験、弾道研究などが行なわれていました(伊良湖射場で試験審査を受けた後、実戦配備)。

小中山港(現在の福江漁港/田原市小中山町)から施設まで軽便鉄道が敷設され、「六階建て」と通称される気象塔兼展望塔、無線電信所、警戒哨舎などが建設されました。

気象塔兼展望塔のコンクリート塔の斜向かいには無線電信所の建物も現存しています。
気象塔兼展望塔は、気象観測、そして大砲の弾の軌道の観測をしていました。

陸軍が伊良湖岬を試射場として選んだ理由は、大砲の射線10kmが確保でき、平坦な地形で弾道がよく観測できること、用地買収が容易だったことなどがあげられます。
陸軍の火力兵器は、ここで実戦配備に向けての研究が行なわれ、そのために、明治39年に伊良湖村(112戸、729人)は、半年間で全村移転(強制移転)していますが(伊良湖神社も宮山の中腹から現社地に移転)、そうした歴史は、菜の花咲く美しい景観に隠され、あまり知られていません。

陸軍伊良湖射場の遺構としては、気象塔兼展望塔、無線電信所のほかに、日出町 に着弾地点を観測する外浜観測所、古田町に福江観測所、そして伊良湖水道を隔てた対岸、三重県・神島に監的哨(神島観測所)が現存しています。

気象塔兼展望塔(旧陸軍伊良湖射場)
名称 気象塔兼展望塔(旧陸軍伊良湖射場)/きしょうとうけんてんぼうとう(きゅうりくぐんいらごしゃじょう)
所在地 愛知県田原市小中山町八幡上
ドライブで 東名高速道路豊川ICから約51km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

神島・監的哨跡

三重県鳥羽市の神島の東部の高台にある戦争遺跡が、監的哨跡(かんてきしょうあと)。戦前に旧陸軍が伊良湖岬側から撃つ大砲の着弾地点を目視するための施設で、昭和4年完成。高さ7mの2階建てで、三島由紀夫の小説『潮騒』にも「観的哨」として登場、重要

外浜観測所(旧陸軍伊良湖射場)

愛知県田原市伊良湖町、伊良湖岬(いらごみさき)の先端部に近い景勝地、恋路ヶ浜の東端、日出の石門(ひいのせきもん)近くにある戦争遺跡が、外浜観測所(旧陸軍伊良湖射場)。戦前、陸軍が大砲の試射の際、その弾道と着弾場所を確認した場所で、海岸にレン

 

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