愛知県あま市蜂須賀にある中世の城跡が、蜂須賀城(はちすかじょう)。木曽川の川並衆であった蜂須賀氏の城で、豊臣秀吉の天下取りを支えた知将で、徳島藩主・蜂須賀家の家祖となった蜂須賀小六(蜂須賀正勝)の生誕の地として知られています。
秀吉の天下取りを支えた蜂須賀小六生誕の地
蜂須賀家は、尾張国海東郡蜂須賀郷を拠点とし、『武功夜話』(ぶこうやわ)には木曽川の水運業で財を成した川並衆(かわなみしゅう)と記されていますが、その存在については裏付けがありません。
ただし、蜂須賀郷が木曽川に近いことから、その舟運を活用していただろうことは容易に推測できます。
蜂須賀小六(蜂須賀正勝)は、大永6年(1526年)、蜂須賀正利と側室・安井御前の嫡男として蜂須賀城に生誕。
尾張国は当時、織田信秀(おだのぶひで=織田信長の父)が勢力を伸ばし、三河の松平氏を脅かす存在にもなっており、蜂須賀小六(蜂須賀正勝)もその圧力で、安井御前の実家である丹羽郡宮後村に移り、宮後城(みやうしろじょう=現・愛知県江南市)を居城にしています。
蜂須賀家は、戦国時代に美濃国・斎藤道三(さいとうどうさん)に従い、蜂須賀小六(蜂須賀正勝)も道三の配下で活躍していますが、斎藤道三死後、織田信長の尾張国統一後は信長の配下となっています。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)との関係は、浪人時代の日吉丸と矢矧川(やはぎがわ)の橋(矢作橋)で出会ったという逸話が残されていますが、当時、川には橋がなかったことからも、後世の創作(『絵本太閤記』の創作)だとわかります。
城跡には「蜂須賀正勝公碑」の石碑も立っていますが、あくまで生誕の地ということで、蜂須賀小六の活躍は、岐阜に近い宮後城に移ってから、羽柴秀吉の参謀時代のことです。
木曽川の洪積平野に位置する平城で、200m四方の壕と土塁で囲まれた城館でしたが、遺構は現存していません。
すぐ北側の蓮華寺が蜂須賀家の菩提寺で、一帯が城館的に機能していたのかもしれません。
蜂須賀城(蜂須賀小六生誕の地) | |
名称 | 蜂須賀城(蜂須賀小六生誕の地)/はちすかじょう(はちすかころくせいたんのち) |
所在地 | 愛知県あま市蜂須賀北本郷 |
電車・バスで | 名鉄青塚駅から徒歩15分 |
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