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一茶双樹記念館

一茶双樹記念館

千葉県流山市、天晴通り沿いにあるのが、一茶双樹記念館。信濃国柏原(現・長野県上水内郡信濃町柏原)に生まれた俳人、小林一茶(こばやしいっさ)が、流山の商家・秋元三左衛門(俳号・双樹)邸に寄寓していますが、「小林一茶寄寓の地」(流山市の史跡)を公開したのが一茶双樹記念館です。

俳人・小林一茶が第二の故郷とした場所

家庭に恵まれず、15歳の時、奉公で江戸へ出た小林一茶は、10年ほどの間、各地を転々とし、葛飾派俳人の多い流山(ながれやま)でも過ごしています。
一茶は、流山の富豪でみりん醸造(天晴みりん)創設者のひとりである秋元三左衛門(俳号双樹/1757年~1812年)と知りあい、享和3年(1803年)~文化14年(1817年)の間にを50回以上も双樹のもとを訪れています。

秋元三左衛門は俳人であるととともに、本業は白みりん醸造も行なっていた名家。
当時の流山は米の集積地だったのです。
一茶双樹記念館前の通りが天晴通りと名付けられているのも、流山で誕生した白みりんの代表ブランド「天晴本みりん」に由来しています(堀切家の「万定」、秋元家「天晴」が流山が生んだ2大ブランドです)。

老中・松平定信(まつだいらさだのぶ=8代将軍・徳川吉宗の孫)は寛政の改革の一環で、下り酒の江戸入津を制限し、寛政2年(1790年)年〜天保4年(1833年)の間、伊丹・池田、灘など摂泉十二郷と呼ばれる地域から菱垣廻船・樽廻船で江戸に運ばれる「下り酒」に負けない品質の「御免関東上酒」を関東の酒屋に造らせようと尽力、幕府の要望もあって堀切家、秋元家ともに、「御免関東上酒」の醸造を行なって発展していたのです。

一茶が秋元三左衛門の邸を訪れたのは、ちょうどその時代。
みりんが江戸で話題になったのも文化・文政年間(1804年〜1830年)と推測できます。
奉公で江戸へ出、葛飾派に所属して俳諧に入り、流山に「第二の故郷」といわれるほど寄寓し、文政10年11月19日(1828年1月5日)に没した小林一茶の人生は、江戸の町人文化の発展、みりんの隆盛がその背景にあったともいえるのです。

一茶双樹記念館は流山市の史跡に指定される小林一茶寄寓の地を保全する施設で、商家である「秋元本家」(みりん関係資料などを展示)、安政年間築の書院を解体修理した「双樹亭」(茶会・句会に利用可能)、一茶庵(茶会・句会に利用可能)、枯山水の庭があります。
すぐ近くの光明院には、一茶・双樹の句碑(「烟らぬ家もうそ寒くして」一茶、「豆引や跡は月夜に任す也」双樹)、双樹の墓が残されているので、時間が許せば合わせて見学を。
一茶・双樹の句碑は、文化元年(1804年)、秋元三左衛門邸で一茶と双樹が詠んだ連句を刻んで、昭和53年に建立されたもの。

一茶双樹記念館
名称 一茶双樹記念館/いっさそうじゅきねんかん
所在地 千葉県流山市流山6-670-1
関連HP 流山市公式ホームページ
電車・バスで 総武流山電鉄平和台駅から徒歩5分
ドライブで 常磐自動車道流山ICから約4.5km
駐車場 4台/無料
問い合わせ 一茶双樹記念館 TEL:04-7150-5750/FAX:04-7150-5750
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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