千葉県大多喜町にあった大多喜城は、戦国時代から江戸時代かけて存在した平山城。その本丸跡に建ち、天保6年(1835年)の図面を基にしての図面を基に復元した建物が、千葉県立中央博物館大多喜城分館(大多喜城)。「房総の城と城下町」を常設展のテーマとした歴史博物館で、大多喜の歴史を詳しく解説。続日本100名城に選定。
徳川四天王・本多忠勝が初代の大多喜藩主に
大永元年(1521年)に小田喜武田氏の祖、真里谷信清が築いた城が大多喜城(小田喜城)。
天正18年(1590年)、家康の関東に入部に伴って、徳川四天王で徳川三傑にも数えられる本多忠勝(ほんだただかつ=「家康に過ぎたる者」とまでいわれた武将)が3層4階の天守を築き、大多喜藩10万石が誕生しました。
背景には、安房国の里見氏に対する備えから譜代の忠臣を大多喜に配したと推測できます。
以降、大多喜藩の藩庁として機能し、石高はわずかに2万石前後でしたが、譜代大名の居城する城となりました。
天保13年(1842年)に天守は焼失し、その後は2層の「神殿」が築かれていました(天守はもともと存在しなかったという説もあります)。
近世の大多喜城を模した千葉県立中央博物館大多喜城分館の館内では、「房総の城」、「城と武士」、「城とその周辺」、「城と城下町」をテーマに展示・解説。
興味深い企画展も随時開催されています。
4階では大多喜城と城下町のジオラマ模型が展示されるほか、展望室にもなっており、窓から城下町の様子も見渡すことができます。
また、体験コーナーでは本物そっくりの兜や陣羽織を着用し、記念写真を撮ることも可能。
大多喜駅の西側に、大手門跡があり、二の丸跡は、千葉県立大多喜高校の敷地になっています。
天保13年(1842年)の火災後に再建された二の丸御殿の薬医門が大多喜高校に保存されています。
本丸の西側に出丸には鐘楼が置かれています。
大多喜城周辺にはソメイヨシノを主体に300本ほどの桜が植栽されており、例年3月下旬~4月上旬頃に見頃に。
3月下旬の土・日曜には『大多喜さくらまつり』も開催されています。
さらに、毎年9月下旬には『大多喜お城まつり』が開催され、本多忠勝侯一行に扮した武者行列や神輿の渡御が城下町に繰り出しています。
千葉県立中央博物館大多喜城分館(大多喜城) | |
名称 | 千葉県立中央博物館大多喜城分館(大多喜城)/ちばけんりつちゅうおうはくぶつかんおおたきじょうぶんかん(おおたきじょう) |
所在地 | 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜481 |
関連HP | 千葉県立中央博物館大多喜城分館(大多喜城)公式ホームページ |
電車・バスで | いすみ鉄道大多喜駅から徒歩15分 |
ドライブで | 館山自動車道姉崎袖ケ浦ICから約34.4km。または、市原ICから約33km |
駐車場 | 町営城下駐車場(90台)/無料、大多喜城へ徒歩5分 |
問い合わせ | 千葉県立中央博物館大多喜城分館 TEL:0470-82-3007/FAX:0470-82-4959 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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