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下総総社跡

下総国の国府の遺構はまだ見つかっていませんが、下総国の総社があったのは、かつて六所の森と呼ばれた一帯(現在の市川市スポーツセンター野球場一帯)。現在もその跡地とされる場所が特定されています。では、国府(国庁)はどこにあったのでしょうか!? 総社、国分寺、国分尼寺などを訪ね歩きましょう。

古代、下総国の総社はここにあった

646(大化2)年に発せられた大化の改新の詔で、律令政治が始まり、諸国には国府が設置されました。
諸国の役所である国府(国庁)には、朝廷から国司が派遣されましたが、国司は当初赴任した国内にある全てすべての神社を一之宮から順に巡拝する決まりがありました。それを簡略化するため国府近くに国内の神社に祀られる神々を合祀した総社を創建。
下総国の総社(六所神社)があったのは、かつて六所の森と呼ばれた一帯で、現在の市川市スポーツセンター野球場です。

明治19年までは総社・六所神社が鎮座していましたが、陸軍教導団(明治初期の陸軍下士官養成機関)の建設地となって神社は須和田2丁目に遷座しています。その後、野砲兵第十六連隊、第十五連隊、第十四連隊などが国府台に移設され、野砲兵第二旅団司令部が設置されたので、一帯は大きく変化しています。

一帯は東西130m、南北80mにわたって高く盛り上がり、大樹も多かったところから「六所の森」の名があり、六所神社跡から南に短冊形の地を府中(ふちゅう)と呼んでいました。

戦後、軍用地は市川市スポーツセンターの敷地などに転用され、下総総社跡の碑は敷地内のケヤキの巨木の根元に立っています。一帯の発掘調査では、古墳時代後期から奈良時代のものと推測される竪穴式住居跡などが出土。また千葉商科大学内の発掘調査では、下総総社の参道と見られる道路跡も発見されています。

下総国の総社がいつごろから置かれたかは定かではありませんが、平安時代初期までの竪穴住居跡が発見されているところから、平安初期以降であると考えらています。

下総国の国府はどこにあった!?

下総国の国府は現在の市川市国府台(こうのだい)にあったと推測されていますが、正確な場所は判明していません(千葉商科大学、和洋女子大あたりと推定されています)。

下総総社跡
名称下総総社跡/しもうさそうじゃあと
所在地千葉県市川市国府台1-6-4市川市スポーツセンター敷地内
関連HP市川市公式ホームページ
電車・バスでJR総武線市川駅からバスで和洋女子大前下車、徒歩3分
駐車場なし(市川市スポーツセンター駐車場はスポーツ施設利用者に限るため)
問い合わせ市川市教育委員会 TEL:047-383-9404
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

国府台駅

千葉県市川市市川3丁目にある京成電鉄本線の駅が、国府台駅(こうのだいえき)。隣接する市川真間駅(いちかわままえき)とともに京成線の難読駅名に数えられています。駅北側の台地に律令時代の下総国(しもうさこく)の国府(こくふ=現在の県庁)があった

二宮神社

千葉県船橋市に鎮座する下総国(しもうさのくに/千葉県北部・茨城県西部)の二之宮が二宮神社。社伝によれば、弘仁年間(810年~824年)、嵯峨天皇の勅命により創建されたという古社。平安時代編纂の『延喜式神名帳』に「下総国千葉郡寒川神社」と記載

六所神社

奈良時代、下総国(しもうさこく)の国府(こくふ=現在の県庁)は現在の市川市国府台に設置されました。そして派遣された国司が参拝する神社として、下総国の総社として創建されたのが、六所神社です。規模は大きくありませんが古代からの超パワースポットと

 

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