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九条塚古墳

千葉県富津市の内裏塚古墳群のひとつ。墳丘長103m(後円部直径57m、前方部幅74m)で、内裏塚古墳群では五番目の墳丘長を誇る大きな古墳です。内裏塚古墳、稲荷山古墳、三条塚古墳と並んで、須恵国造(すえのくにのみやつこ)など古代の地域の盟主の古墳だと推測されています。

今城古墳(継体天皇陵)に形がそっくり!

周囲には農地が広がっています
墳丘への入口。この墳墓も登山道のような道が

九条塚古墳は、6世紀半ば頃の築造で、内裏塚古墳群では5世紀末の上野塚古墳(青堀駅前古墳)以降半世紀ほど古墳造営の空白期間(ブランク)があります(内裏塚古墳とは100年のブランクが)。
6世紀半ば以降には、九条塚古墳のような盟主墳の築造と同時に、その周囲に配下の首長を葬った墳丘長約50m〜70mの前方後円墳、そ族長を葬った直径20m〜30mの円墳が築造されています。

つまり、内裏塚古墳群一帯を治めた国造(上位の首長)とその配下である中位の首長、下位の首長の結束を示すもので、須恵国の繁栄を裏付けてもいます。

墳丘の周囲には全長約150mの二重周溝が巡らされており、今城古墳(継体天皇陵)に形が似ているため、ヤマト政権との交流や関連も推測され、富津市の史跡となっています。

九条塚古墳は富津市の史跡に
墳頂部に続く道

横穴式石室を採用した古墳としては千葉県では最古

明治43年の石室発掘調査では、後円部東側の長さ9.45mの横穴式石室から人骨数体分のほか、水晶切子玉、ガラス小玉、銀製空丸玉(うつろだま)、銀製紡錘形空玉、金銅製空丸玉、銅心銀張耳環(じかん)、金銅装太刀、直刀、鉄鏃、鉄地金銅張胡、金具、雲珠、十字文楕円形鏡板付轡、具芯辻金具などが出土しています。

詳細な発掘記録が現存しないため定かでありませんが、凝灰岩質砂岩自然石の乱石積み(らんせきづみ)で構築された無袖式の横穴式石室だったであろうと考えられ、横穴式石室を採用した古墳としては千葉県では最古のもの。

円筒埴輪も出土していますが、墳丘上にズラリと埴輪が並んでいたかは定かでありません。

後円部墳頂にある石碑。台座部分には石室の天井石を使用
九条塚古墳
名称 九条塚古墳/くじょうつかこふん
所在地 千葉県富津市下飯野767
関連HP 富津市公式ホームページ
電車・バスで JR青堀駅から徒歩17分
問い合わせ 富津市教育委員会 TEL:0439-80-1340
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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