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君津市立久留里城址資料館

久留里城の二の丸跡(標高128m)に昭和54年に開館した資料館。久留里城と君津市の歴史・文化・自然に関する資料を展示しています。屋外には明治中期に君津地方で考案された掘抜(ほりぬき)井戸の掘削技術を伝える「上総掘り」の足場(櫓)も復元されています。

常設展は「郷土を掘る」「城と武士」「信仰と文化」の3部構成

資料館2階の常設展は、君津市の古代史と遺跡を紹介する「郷土を掘る」、久留里城の築城伝説をはじめ、戦国時代の里見氏、江戸時代の土屋氏・黒田氏などの歴代城主や、その家臣に関する資料を紹介する「城と武士」、そして絵馬・神楽道具などを解説する「信仰と文化」の3部構成。

資料館前に江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者、新井白石(あらいはくせき)の銅像が立つのは、幼少から青年期まで久留里藩2代藩主・土屋利直(つちやとしなお)に仕えていたから。3代藩主・土屋直樹(つちやなおき)は、延宝7年(1679年)8月7日、狂気を理由に改易され、久留里城も破却。自由の身となった白石は、天和3年(1683年)、大老・堀田正俊に仕えています。

資料館からおよそ150mほど離れた久留里城本丸跡(標高145m)には天守閣が再建されていますが、こちらは浜松城模擬天守をモデルとした2層3階建てで、往時の天守とはスタイルが異なっているので注意が必要。江戸時代の天守は、現存する当時の文献や、礎石の配列状況からして2層2階であったと推定されています。

天守周辺の遺構には、標柱や解説板が設置され、自生する植物を身近に鑑賞できるよう遊歩道も整備されています。
資料館西側の絶壁からは、江戸時代の黒田氏時代に御殿が置かれた三の丸跡(標高45m)、国道沿いの搦手門跡(からめてもんあと)、戦国時代の里見・北条古戦場を眼下に眺望。

久留里城本丸の建つ模擬天守は浜松城がモデル
君津市立久留里城址資料館
名称 君津市立久留里城址資料館/きみつしりつくるりじょうししりょうかん
所在地 千葉県君津市久留里内山
関連HP 君津市公式ホームページ
電車・バスで JR久留里駅からタクシーで5分。久留里城三の丸跡まで、東京駅八重洲口から高速バス「アクシー号」(鴨川日東バス・日東交通・京成バスの共同運行)、千葉駅から高速バス「カピーナ号」(鴨川日東バス・日東交通・千葉中央バスの共同運行)の利用が可能
ドライブで 首都圏中央連絡自動車道木更津東ICから約10km
駐車場 130台/無料
問い合わせ 君津市立久留里城址資料館 TEL:0439-27-3478/FAX:0439-27-3452
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

久留里城

久留里市街の東に位置する標高140mほどの尾根筋を利用した山城で、戦国時代には上総に進出した里見氏の小田原北条氏に対する軍事拠点となった場所。最初の築城は、上総武田氏の祖・武田信長が1455(康正1)年に上総守護代に任ぜられた直後と推測され

 

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