明治32年、日本で最初にサンドウィッチを駅弁として発売したのが、東海道本線大船駅で駅弁を販売した大船軒。明治21年、大船駅前に旅館を開業した富岡周蔵(とみおかしゅうぞう)が、当時のハイカラな洋食だったサンドウィッチに目をつけ、明治32年2月、「衛生 サンドウィッチ 旅行用」として発売したのが始まりです。
サンドウィッチを提案したのは黒田清隆
大船信号所が旅客を扱う駅になったのは明治21年11月1日のこと。
横須賀に海軍鎮守府が置かれ、明治22年6月16日、円覚寺の境内を線路が通過するという突貫工事で横須賀線が開通すると、大船駅は分岐駅という交通の要衝になります。
富岡周蔵は、呉服屋の丁稚奉公(でっちぼうこう)で身を立て、東京で陸軍向けの缶詰の製造などを行なっていましたが、東海道線、横須賀線大船駅の開業に目をつけ、まずは大船駅前に旅館を開いています。
その後、明治31年5月16日、駅弁事業にも参入。
当時の販売許可願い書を見ると、弁当12銭、お茶3銭(差替1銭)、ラムネ3銭、鮨(並)7銭、玉子2銭、梨、りんご2銭〜6銭、渋うちわ2銭、扇子3銭と記されています。
明治32年2月、「衛生 サンドウイッチ 旅行用」(9個入り20銭)が発売されます。
富岡周蔵の妻は、薩摩藩士・相良長発(さがらながなり=小松帯刀の兄/喜入領主・肝付家出身ですが相良家・小松家に養子に入っているため別姓に)の娘・キンで、周蔵も大船にあった相良長発邸で暮らしていたこともあり、薩摩藩士だった黒田清隆(くろだきよたか=大船駅開業時は内閣総理大臣)も相良邸を訪れているため、富岡周蔵と黒田清隆には交流がありました。
黒田清隆は明治4年、4ヶ月間欧米を外遊した際にサンドウィッチを食し、これが「忘れられない味」だと富岡周蔵に語ったのです。
当時、サンドウィッチは、高級な洋食店でした味わえない、庶民には縁遠いハイカラな食べ物でした。
当初は輸入品を使用したハムでしたが、駅弁の「サンドウヰッチ」が人気を博したため、明治33年、イギリス人のウイリアム・カーチスからハム(鎌倉ハム)製造のノウハウを取得し、鎌倉ハム富岡商会を設立しています(現在も小町通りに鎌倉小町本店がありますが、当初は大船の本社社屋裏手の洞窟で製造していました)。
ハムは日持ちがすることで、駅弁にも最適な素材でしたが、横須賀の海軍鎮守府にも保存が効くということで、鎌倉ハムを納入しています。
このサンドウィッチ人気を背景に、大正2年、漁師町の味として知られる「鯵の押寿し」を発売、現在ではこちらの方が有名になっています。
当初の呼称は、「サンドウィッチ」でしたが、昭和初期のパッケージでは「サンドウヰッチ」になり、現在のレトロなパッケージもこの「サンドウヰッチ」を踏襲しています。
現在販売中の「サンドウヰッチ」は、ハムサンドとチーズサンドの2種類の味が楽しめるもので、ハムは鎌倉ハムのボンレスハムを使用しています。
令和5年4月1日、JR東日本クロスステーションに吸収合併されていますが、駅弁は、東海道本線の大船駅、東京駅、品川駅、藤沢駅、小田原駅、熱海駅、横須賀線の鎌倉駅、逗子駅、さらには上野駅でも販売されています。
全国の人気駅弁(5)サンドウィッチ(大船軒) | |
関連HP | 大船軒公式ホームページ |
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