ご当地ソングなどを用いた駅の発車メロディー。現在では珍しくなくなりましたが、普及したのは平成になってから。昭和63年11月22日、仙台駅の仙石線ホームでさとう宗幸が歌う『青葉城恋唄』をベースにしたもので、これが発車メロディーの始まりということに。
発車メロディーを愛する「音テツ」もいる奥の深い世界
ご当地ソングを駅で流すということでいえば、豊肥本線・豊後竹田駅で昭和26年5月14日、列車の発着時に瀧廉太郎(たきれんたろう)作曲の歌曲『荒城の月』を流し始めたのがルーツ。
瀧廉太郎は、藩校跡に建てられた直入郡高等小学校(現・竹田市立竹田小学校)に2年3ヶ月通い、『荒城の月』作曲の際に連想を得たのが岡城ということもあって、そのPRのためにレコードを使って曲を流していたのです。
山田耕筰が編曲した『荒城の月』が流されていましたが昭和62年、俳優でマルチな才能を発揮した小沢昭一が豊後竹田駅を訪れた際、「廉太郎ゆかりの地には原曲がふさわしい」と竹田市長に要請したことから、昭和63年7月19日、『荒城の月』を竹田市少年少女合唱団が歌う瀧廉太郎の原曲に変更、今も列車到着時に流れています。
こうして岡城の玄関駅・豊後竹田駅でレコードで始まった駅メロですが、仙台駅も青葉城(仙台城)の玄関口。
昭和52年4月からNHK-FM仙台『FMリクエストアワー』でDJを務めるさとう宗幸が、番組の中で生まれた星間船一作詞、さとう宗幸作曲の『青葉城恋唄』。
昭和53年5月5日にキングレコードから発売され、仙台を代表する名曲と知られるまでに成長しますが、当時はさとう宗幸もまだ無名の存在で、地元のバックアップがあったのです。
そのひとつが仙台駅も後押しした『青葉城恋唄』の使用で、ベルの不快感という苦情に対処するための策として発車メロディーとして導入したのです。
発車メロディーを担当したのは、仙台を拠点に活動する音楽家・榊原光裕(さかきばらみつひろ=「定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台」の創始者のひとりで、「楽都仙台」の立役者)で、『青葉城恋唄』のレコーディングにはピアニストとして参加していました。
仙石線だけに採用された発車メロディーでしたが、好評だったため、翌昭和64年3月11日には、ダイヤ改正にあわせて東北本線などの在来線全ホームの発車ベルをメロディー(榊原光裕が担当)に変更しています。
平成元年10月8日には新幹線ホームにも導入、これが新幹線としての初の発車メロディーです。
現在、仙台駅で『青葉城恋唄』が流れるのは新幹線ホームだけで、在来線は仙台夏まつりの『すずめ踊り』のお囃子に変わっています。
ちなみにJR東日本の場合、発車メロディーをどこまで流すかは車掌の裁量。
メロディーを止めると自動的に「ドアが締まります」との放送が流れる仕組みに。
ICレコーダーを片手に各地を回る「音テツ」も多いという世界です。
首都圏で発車メロディーの導入は昭和64年3月で、新宿駅と渋谷駅がルーツで、東京メトロ・東西線などは1駅7秒の駅メロを順につなげて聞くと一曲になるという仕掛けも。
駅の発車メロディー、そのルーツは仙台駅!? | |
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