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小田急を有名にした「小田急で逃げる」、「小田急る」とは!?

戦前に小田急を有名にした「小田急で逃げる」というフレーズを知っている人は少ないかもしれません。菊池寛の小説『東京行進曲』が昭和4年に映画化され(ただし無声映画です)、その主題歌『東京行進曲』の4番に「小田急で逃げる」があったのです。そこから生まれた「小田急る」は黎明期の小田急を一躍有名に。

小田急は「駆け落ち電車」の代名詞だった!?

映画『東京行進曲』

『東京行進曲』はもともと大衆雑誌『キング』(講談社の前身、大日本雄辯會講談社の出版で、戦前の講談社の看板雑誌)に昭和3年6月号〜昭和4年10月号に掲載された菊池寛の連載小説。
当時『キング』は出版部数130万部を誇る、まさに大衆文化の象徴的な存在でした。

『東京行進曲』は、資産家と、腹違いの姉妹との悲恋がテーマの恋愛小説ですが、小説の宣伝文句は「富める者に教養あるか。貧しき者に罪悪と堕落があるか」と難解。
当時のブルジョワ資本主義とプロレタリアの対立という世相を反映、通俗小説といわれながらも、社会派的な性格を帯びた物語だったのです。

東京の大富豪の藤本家の長男・良樹は、自宅で友人たちとテニスに興じていたところ、誤ってボールを崖の下に落とし、それを偶然拾ったのが崖の下の貧民街に暮らす道代という話。
良樹は美しい道代に一目惚れ・・・と昼メロのような展開ですが、作品には菊池寛の社会悪の根源は「金の力」と「男性本位の道徳」にあるという思想を盛り込んでいます。

帝国ホテル、帝国劇場、軽井沢、テニス、音楽会など庶民の憧れともいえるシーンも描かれて、人気は沸騰。

そんな当時の大ヒット大衆誌の人気小説に日活(太秦撮影所)が目をつけ、夏川静江、入江たか子主演、溝口健二監督でによって映画化。
異例の原作完結前に映画化(昭和4年5月31日封切り)ということで、映画の結末は、原作とは異なるオリジナルとなったため、主題歌の影響を受けた結末ともいわれています。

この主題歌『東京行進曲』は、作詞・西條八十、作曲・中山晋平という当時の黄金コンビ。
歌ったのが、『波浮の港』が売り上げ10万枚という大ヒットを記録し、「日本初のレコード歌手」といわれた佐藤千夜子(さとうちやこ)だったこともあって、主題歌も大ヒット。

モボ・モガが行き交う昭和初期の開放的な銀座の風俗が唄われ、4番の歌詞に「いっそ小田急(おだきゅ)で逃げましょか」というフレーズがあり、小田急(おだきゅ)るという造語まで生まれて、大きな話題を呼んだのです。

小田急(当時の社名は小田原急行鉄道)は昭和2年4月1日に新宿駅〜小田原駅が全通、10月15日に急行の運転を開始しているので、いい宣伝かと思いきや、「おだきゅ」と通称で呼ばれた上に、駆け落ちに使われるとあって、「駆け落ち電車とは何事だ」と幹部はご立腹だったようです。

その後社名が正式に小田急電鉄に改称され、西條八十は宣伝の恩人ということで終身有効の「小田急電鉄優待乗車証」をもらっています。

「シネマ見ましょか」「お茶のみましょか」「いっそ小田急で逃げましょか」から生まれた「小田急る」は、確かに2人が手を繋いで小田急に乗るという艶っぽいイメージがあります。
「小田急る」は死語になりましたが、それに代わって「ロマンスカー」が誕生したのは(小田急では昭和9年頃から使用)、やはり「小田急る」がその前史となっている気がします。

小田急を有名にした「小田急で逃げる」、「小田急る」とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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