741(天平13)年、聖武天皇が仏教による国家鎮護、五穀豊穣を願って、諸国に建立の詔を発した、国分尼寺のひとつが、筑前国分尼寺。古代寺院の跡である筑前国分尼寺跡は、筑前国分寺の西300mほどの場所にあり、古代の筑前国(ちくぜんのくに)では一帯が中心だったことがわかります。
わずか100年間の短命国分尼寺の跡
国分尼寺の正式名は法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)で、筑前国分尼寺にも10人の尼僧が暮らしていました。
筑前国分尼寺は、創建からわずか100年ほど(8世紀後半〜9世紀後半)で廃寺となったと推測され、筑前国分尼寺跡は農地に。
筑前国分尼寺跡を示す看板があるのみです。
発掘調査により、国分寺が建物の土台に、柱などを支える石を使った礎石建物であるのに対して、国分尼寺は簡易な掘立柱(ほったてばしら)建物であったことが判明しています。
平成27年には「花寺」銘の墨書土器が発見され、ここが筑前国分尼寺だったことが確実になりました。
発掘された礎石も、田の中では邪魔ということで、反対側の国分3丁目にある国分共同利用施設と太宰府市役所前庭に1つずつ移設されています。
国分共同利用施設の礎石は花崗岩製で直径70cmほどの大きさ。
円形柱座になっています。
筑前国分尼寺跡 | |
名称 | 筑前国分尼寺跡/ちくぜんこくぶんにじあと |
所在地 | 福岡県太宰府市国分2-8 |
関連HP | 太宰府市公式ホームページ |
電車・バスで | 西鉄太宰府線都府楼前駅から徒歩20分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 太宰府市観光推進課 TEL:092-921-2121/FAX:092-921-1601 |
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