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富士山本宮浅間大社『流鏑馬まつり』|富士宮市|2024

富士山本宮浅間大社『流鏑馬まつり』

2024年5月4日(土・祝)〜5月5日(日・祝)、静岡県富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社で『流鏑馬まつり』が斎行されます。源頼朝の「富士の巻狩り」がルーツという歴史ある流鏑馬(やぶさめ)。富士山本宮浅間大社は、駿河国(静岡県東部の旧国名)の一之宮で、全国に1300社ほどある浅間神社の総本社です。

ルーツは源頼朝の「富士の巻狩り」

『流鏑馬まつり』は、建久4年(1193年)5月、源頼朝が「富士の巻狩り」を行なった際に、奉納したことに起因するといわれる古式ゆかしい行事です。

「富士の巻狩り」は、源頼朝が征夷大将軍となった直後に、その権威を西国の武将に示すことを目的のひとつとしたであろう一大軍事演習。

現在の富士宮市など富士山麓を舞台に、御家人(源頼朝と主従関係を結び従者となった武士)を結集して、「巻狩り」を行ないました。

「巻狩り」は、将軍頼朝の前で勢子(射手=待子の側に鳥獣を追い出す人)の追い立てた獲物を馬上から弓で射る武術の訓練です。

富士山本宮浅間大社は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています(県境問題でもめる富士山の山頂部一帯は富士山本宮浅間大社の神域で、奧宮が鎮座しています)。

頼朝の流鏑馬は西行直伝?

古文書には、源頼家の鹿狩り、新田四郎忠常の猪退治などが記されているので、鹿や猪を狩ったものだと推測できます。

そんな鹿や猪を的に変えて行なわれるのが流鏑馬(やぶさめ)。疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る儀式で、平安時代から行なわれていました。

鎌倉時代に成立した歴史書『吾妻鏡』には文治2年(1186年)8月15日、鶴岡八幡宮に参拝した源頼朝が、奥州へ向かう途中だった西行に出会い、そこで西行から弓馬(流鏑馬)のことを聞き、翌年の鶴岡八幡宮の放生会で流鏑馬を奉納しています。

西行の俗名は、佐藤義清(さとうのりきよ)。
出家して僧になる前は、鳥羽上皇に仕える北面の武士だったのです。

GWは富士山本宮浅間大社に注目

毎年5月4日〜5月5日、富士宮市の富士山本宮浅間大社で『流鏑馬(やぶさめ)まつり』が齋行。
本祭の5月5日には境内桜の馬場にて鎌倉武士の狩り装束のいでたちで、勇壮な小笠原流流鏑馬式が行なわれます。

5月4日

9:00=川原祓・馬場祓、12:00=末社巡拝、15:00=流鏑馬習礼(しゅうらい=練習)

5月5日

9:00=流鏑馬本祭、12:00~14:00=流鏑馬練行、15:00=流鏑馬式

5月6日

後日祭

富士山本宮浅間大社『流鏑馬まつり』|富士宮市|2024
開催日時 2024年5月4日(土・祝)〜5月5日(日・祝)、5月6日(月・振替休)は後日祭
所在地 静岡県富士宮市宮町1-1
場所 富士山本宮浅間大社
関連HP 富士山本宮浅間大社公式ホームページ
電車・バスで JR富士宮駅から徒歩15分
ドライブで 新東名高速道路新富士ICから約8km
駐車場 150台/無料
問い合わせ 富士宮市観光協会 TEL:0544-27-5240
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

富士山本宮浅間大社

全国に散らばる1300余りの浅間神社の総本宮で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産の中核的な存在。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと=浅間大神)。富士山自体がご神体で、山頂に奥宮が須走口・吉田口・河口

 

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