岩手県宮古市、三陸復興国立公園・三陸ジオパークの中心に位置し、国の名勝にもなっているのが浄土ヶ浜。鋭くとがった白い流紋岩が林立し、天和年間(1681年〜1684年)、常安寺(現・宮古市)・霊鏡竜湖(れいきょうりゅうこ)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことが名の由来です。
【絶景を読み解く】乳白色の流紋岩が海の青さ、松の緑に映える
江戸時代初期の浄土ヶ浜は、里人もめったに訪れなかった未開の地で、常安寺7世の霊鏡竜湖は、獣道を踏みしめ、ヤブをかき分けて到達したのか、小舟で海岸沿いに伝ったのかは定かでありませんが、なんとか浄土ヶ浜に到達。
白い流紋岩が林立、その上に青々と茂る松(岩手県の「県の木」ナンブアカマツ)やヤマツツジ、岩場にはハマギクやスカシユリが咲き、打ち寄せる青い海・・・、初めて見るこの絶景に、この地こそ極楽浄土と絶賛したのです。
霊鏡竜湖は、浄土ヶ浜を仏の国に見立て、先端の岬に衆生(しゅじょう=あらゆる生き物)を救い冥府(めいふ=死後の世界、閻魔の庁)の救済者である地蔵菩薩を安置しています。
東側にある賽の河原(さいのかわら)は、霊鏡竜湖の命名で、賽の河原地蔵がその歴史を今に伝えています。
霊鏡竜湖は、感嘆して七言絶句の漢詩を詠んではいますが、浄土ヶ浜と名付けたわけではなく、江戸時代中期頃からそう呼ばれるようになったものだと推測できます。
大正6年に宮沢賢治が訪れた際には、まだまだのどかな昆布の干場(かんば)で、「うるわしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という短歌を残しています。
地質的には1万年前のヴィルム氷河期に半島となった場所で、温暖期の海進と寒冷期の海退を繰り返すプロセスで、鋭い形状の岩塊群、その下の礫浜からなる内湾という構成が誕生したもの。
地質的には流紋岩(マグマの働きでつくられた火山岩)で、光が当たるとまばゆいばかりの乳白色に輝きます。
この流紋岩が浸食されて誕生、青の洞窟と称される神秘的な洞窟へは、小型のさっぱ船で探勝できます。
【空撮!ニッポンの絶景】浄土ヶ浜・青の洞窟|岩手県 | |
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