サイトアイコン ニッポン旅マガジン

射楯兵主神社(播磨国総社)

射楯兵主神社(播磨国総社)

兵庫県姫路市、姫路城の中曲輪内に鎮座する古社で、6世紀に、水尾山(現在の男山)に兵主大神(ひょうずのおおかみ=五十猛尊)を祀ったのが始まりというのが射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)。平安時代の末に播磨国内16郡174座の神社の分霊を勧請し播磨国総社になっています。

播磨国のすべての神々が祀られる

拝殿

地元で、「そうしゃ」、「そうしゃさん」と濁らずに呼ばれる射楯兵主神社(播磨国総社)。

社伝によれば、6世紀に大己貴命(兵主の神)を祀るのが始まりという古社。
延暦6年(787年)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が兵主大神(ひょうずのおおかみ)を国衙荘小野江の梛本(現・姫路市本町)に祀り、養和元年(1181年)、 新任の国司が国内の諸社巡拝を簡略化するため、播磨国16郡174座の大小明神社を合祀し、播磨国総社となっています。
この養和元年(1181年)が正しければ、国司(播磨守)は平行盛(たいらのゆきもり=平清盛の次男)ということに(ただし、源平合戦と通称される治承・寿永の乱の最中です)。
国司の国内の神社の巡拝を簡略化するため、国府近くに総社を設置するのは、平安時代になってからですが、律令制度が崩壊する平安時代末に総社が建立されるのは異色です(それまでにも総社があり、拡大されたのかもしれません)。
主祭神は射楯大神(いたてのおおかみ=大国主命)と兵主大神。

天正9年(1581年)、羽柴秀吉の姫路城築城の際に現在地に遷座しています。
中世の赤松氏や歴代の姫路城主に尊崇されましたが、往時の社殿は太平洋戦争の空襲により焼失しています。
釣鐘は室町時代に赤松氏が、南参道の石鳥居は姫路城主・榊原忠次が寄進したもの。
黒田官兵衛の父・黒田職隆は永禄10年(1567年)に拝殿や表門を再建。
また、黒田官兵衛も天正8年(1580年)、射楯兵主神社に詣でて新しく制定した黒田家の軍旗の祈祷(きとう)を受け、天正12年(1584年)には制札を与えるなど、その保護に努めています。

境内には総社らしく、一之宮、二之宮、秋葉社、羽黒社などを合祀した十二社合殿があるほか、琴平社、鹿島社、戸隠社、厳島社などは独立した社(境内社)を構えています。

『総社一ツ山祭』は61年ごとに、臨時祭の『総社三ツ山祭』は21年ごとに齋行されています。

ちなみに播磨国庁があったのは、姫路郵便局の庁舎増築の際に播磨国府系瓦が大量に出土し、大型の掘立柱建物群と瓦葺建物の存在が確認されたため、現在の姫路市総社本町(本町遺跡)にあったと推測されています。
国分寺、国分尼寺は現在の姫路市御国野町国分寺に遺構が発掘され、国分寺の後継寺院として牛堂山国分寺が建っています。

播磨国一之宮は、伊和神社(宍粟市一宮町)、二之宮は荒田神社(多可郡多可町加美区)、三之宮が住吉神社(加西市北条町)、四之宮が白国神社(姫路市白国町)とされています。

射楯兵主神社(播磨国総社)
名称 射楯兵主神社(播磨国総社)/いたてひょうずじんじゃ(はりまのくにそうしゃ)
所在地 兵庫県姫路市総社本町190
関連HP 播磨国総社射楯兵主神社公式ホームページ
電車・バスで JR姫路駅から徒歩15分
ドライブで 山陽自動車道姫路東ICから約6km
駐車場 80台/無料
問い合わせ 射楯兵主神社 TEL:079-224-1111/FAX:079-224-1114
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了