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徳島藩松帆台場跡

徳島藩松帆台場跡

兵庫県淡路市岩屋、明石海峡に臨む松帆の浦(まつほのうら)にある異国船襲来に備えて幕末に築かれた砲台の跡が徳島藩松帆台場跡。松帆台場は、大坂湾(大阪湾)の防衛の要衝である明石海峡の防備を目的として、徳島藩(阿波藩)によって淡路島最北端に築造された台場です。

幕末の大坂湾防備で築かれた砲台跡

ペリー来航の翌年の安政元年(1854年)、ロシア軍艦ディアナ号が大坂沖に姿を見せるなど、外国船の往来が激しくなった幕末。
4年がかりの工事の末に文久元年(1861年)に完成したのが松帆台場です。
台場は明石海峡側に三角形の突出部が2つあるM字型で、東側に目隠し土塁を配し、堡塁内部に火薬庫、弾薬庫、調練場を設けていました。
明石海峡向けて大砲13門が設置され、さらに台場からの砲撃が届かない海上の敵艦船を迎撃するために御備船が出撃する松帆湊(掘り港)が築造されています(南側に残る池が松帆湊の跡です)。

松帆台場には徳島藩(阿波藩)の70名の藩士が常駐し、近在の村からも260名が駆り出されて警備、運用にあたっていました。
台場中央部の広場では連日練兵訓練が行なわれたと伝えられています。
台場と掘り港部分が一緒に現存するのは、国内でもここだけで、国の史跡に指定。
台場部分の多くは神戸製鋼の保養所「ゆうなぎ荘」敷地になっており、見学は東の松帆恵比寿神社部分に限られています。

ちなみに明石海峡対岸には旧明石藩台場跡(舞子砲台)もあり、国の史跡になっています。

徳島藩松帆台場跡
名称 徳島藩松帆台場跡/とくしまはんまつほだいばあと
所在地 兵庫県淡路市岩屋松帆
関連HP 淡路市公式ホームページ
ドライブで 神戸淡路鳴門自動車道淡路ICから約3.7km
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

旧明石藩台場跡(舞子砲台)

明石海峡が最も狭くなった舞子海岸に築造された幕末の砲台跡が旧明石藩台場跡(舞子砲台)。本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋の本州側のたもと、舞子公園の西の端に位置しています。幕府が明石海峡の警備強化のために、文久3年(1863年)、明石藩に1万両

 

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