兵庫県姫路市の広峰山山頂にある鎮座する牛頭天王(ごずてんのう)の総本宮が、広峯神社(廣峯神社)。社伝によれば、天平5年(733年)、唐から戻った吉備真備(きびのまきび)が都へ帰る途中この地で神威を感じ、聖武天皇に報告したことにより、翌年、白幣山(はくへいざん)に創建されたのに始まる古社です。
姫路市街の北、広峰山に鎮座する古社
天禄3年(972年)、現在地の広峰山に遷座し、旧社地の白弊山(本殿から徒歩10分ほど)には磐座(いわくら)、吉備社と荒神社が鎮座しています。
古くから農業の神として崇拝され、正徳4年(1714年)には宮中の祈願所となっています。
室町時代再建の本殿・拝殿はともに国の重要文化財。
黒田官兵衛の祖父・黒田重隆(くろだしげたか)の代に黒田家は備前国福岡から姫路に移り、広峯神社の御師(おし)が配る神符とともに黒田家秘伝の目薬を売って財を蓄え、黒田家発展の基礎を築いたと伝えられています。
広峯神社の御師は、神主を中心とする武家団という性格も有し、いざとなれば神社を本陣として34の御師屋敷が要塞化しています(現在は2軒が往時の面影を残しています)。
牛頭天王は日本における神仏習合の神で、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神。
薬師如来を本地仏とし、素戔嗚命(すさのおのみこと)に習合され、除災の神として知られていますが、広峯神社では農業神として有名。
明治の神仏分離までは薬師如来を本地仏として祀る天王山増福寺が別当(神社を管理する寺)として繁栄していました(神仏分離、廃仏毀釈で廃寺)。
室町時代の文安元年(1444年)再建の入母屋造りの本殿、拝殿、そして宝篋印塔は国の重要文化財。
牛頭天王総本宮は、広峯神社、八坂神社!?
平安京の祇園観慶寺感神院(現在の京都・八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)の分霊を勧請したとも伝えられ、八坂神社も牛頭天王の総本宮を名乗っています。
建保4年 (1216年)の社記に「播磨国広峯社者祇園本社」、さらに貞応2年(1223年)の文書に「祇園本社播磨国広峯者」という記載があり、鎌倉時代には祇園の本社は広峯神社だとする主張が始まっていることがわかります。
これについては、八坂神社は激しく反発し、祇園信仰の本社争いに発展しているのです。
ただし、京都の岡崎神社の由緒にも「貞観11年(869年)、勅命により社殿を造営し、播磨国広峯より祇園牛頭天王(速素盞鳴尊)を勧請」とあり、平安京においても広峯神社の名声が高かったことがわかります。
広峯神社 | |
名称 | 広峯神社/ひろみねじんじゃ |
所在地 | 兵庫県姫路市広嶺山52 |
関連HP | 広峯神社公式ホームページ |
ドライブで | 播但連絡道路砥堀ランプ約5km、豊富ランプから約6km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 広峯神社 TEL:079-288-1959 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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