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須磨浦公園「源平史蹟・戦の濱」

須磨浦公園「源平史蹟・戦の濱」

源平合戦(治承・寿永の乱)の古戦場として知られる須磨。一の谷から西一帯の海岸が一の谷の戦いの舞台とされ、「戦の濱」と通称されています。現在は鉄拐山、鉢伏山を含む103.8haという広大な須磨浦公園として整備されています。海岸の一画に「源平史蹟・戦の濱」の碑が立っていて、一の谷の戦いの旧跡であることを宣言しています。

源平合戦で有名な一の谷の戦いの旧跡

鉢伏山から須磨浦海岸を眼下に

治承8年2月7日(1184年3月20日)、義経ら70騎は一の谷に陣取る平家軍に対し、鵯越(ひよどりごえ)の急峻な崖を駆け下る奇襲攻撃を仕掛け、平家軍の動揺を誘いました。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にはそう記されているのですが、一の谷(神戸市須磨区一の谷町)と鵯越(神戸市兵庫区鵯越町)は、現在の地名からすると8kmも離れていて、辻褄(つじつま)が合いません。

もし一の谷から義経が「逆落とし」の奇襲をかけたなら、一の谷の裏手、鉄拐山の東南の急峻な崖こそがその地だろうと推測できます。
須磨浦の背後の山並みは「須磨アルプス」と呼ばれ、まさに義経が「逆落とし」にはピッタリの地形なのです。
須磨浦公園の山側には東から西へ一の谷・二の谷・三の谷・境谷が続き、一の谷と二の谷の間にある尾根道が「義経道」と呼ばれる登山道です。

義経の「逆さ落とし」は、『平家物語』が生んだフィクションとする説もありますが、謎を秘めながらも須磨浦周辺には敦盛塚、須磨寺の源平ゆかりの宝物など源平合戦の史跡が数多く残されています。

また、一の谷に平家が陣取ったというのも史実。
治承8年2月7日には、ここで紅白の旗が揺らめいていたと想像できるのです。

『摂津名所図会』に見る須磨浦、一の谷源平古戦場

幼帝・安徳天皇が一の谷に構えたという内裏(だいり)

安徳天皇が内裏を構えたと伝わる伝承の地は、須磨浦背後の住宅地にあります。
兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町2-6−35に伝承地の碑が立っています。

平家物語 – 巻第九・落足の図
須磨浦公園「源平史蹟・戦の濱」
名称 須磨浦公園「源平史蹟・戦の濱」/すまうらこうえん「げんぺいしせき・いくさのはま」
所在地 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町4-1-24
関連HP 神戸市公園緑化協会公式ホームページ
電車・バスで 山陽電鉄須磨浦公園駅から徒歩5分
ドライブで 阪神高速道路神戸線若宮出口から約3.4km
駐車場 須磨浦公園駐車場(223台/有料)
問い合わせ 神戸市公園緑化協会 TEL:078-795-5533
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

須磨浦公園・敦盛塚

2018年1月30日

 

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