サイトアイコン ニッポン旅マガジン

不動院

不動院

広島県広島市にある真言宗別格本山の寺が不動院。14世紀中頃、足利尊氏(あしかがたかうじ)と足利直義(あしかがただよし)の兄弟が、夢窓疎石の勧めにより、南北朝の戦乱で亡くなった後醍醐天皇以下の敵と味方の霊を慰めるために、諸国に60余り建立した安国寺利生塔のひとつ。現在、楼門は国の重要文化財に、金堂は国宝に指定。

原爆の被害を逃れ、国宝や重文の堂宇が現存

重要文化財の楼門

もともとの開基は行基との伝承があり、本尊・木造薬師如来坐像(国の重要文化財)の定朝様式から平安時代には創建されていたと推測されています。

安芸国守護武田氏の菩提寺となりますが、戦国時代の大永年間(1521年~1527年)に武田氏と大内氏の合戦で伽藍が焼失。
中興の祖となる毛利氏の外交僧で豊臣秀吉からも信任されていた安国寺恵瓊(あんこくじけいけい)が住持を務めた際に、その力を背景に隆盛を極め、金堂、楼門、鐘楼などが整備されています。
関ヶ原の合戦後、福島正則が安芸・備後両国の大名として入国。
その際に、福島正則の祈祷僧・宥珍(ゆうちん)が入寺し、当初の禅宗から真言宗に改宗し不動明王を本尊として祀り、不動院と称するようになりました。

藩政時代には浅野家歴代藩主の保護を受けて栄えました。
原爆投下に際しては、爆心地から3.9kmに位置するため爆風により金堂の屋根の一部が吹き飛ぶなどの被害を受けていますが、倒壊を免れています。

金堂(国宝)は、天文9年(1540年)、大内義隆が山口に建立したもので、大内氏の菩提寺・凌雲寺にあったものを天正年間(1573年〜1592年)、安国寺恵瓊が移築。
牛田山が原爆の爆風を防いで、広島市内に現存する唯一の国宝となっています。
永享5年(1433年)築の鐘楼、文禄3年(1594年)築の楼門(二重門)は国の重要文化財。
寺には、安国寺恵瓊関係の書状、豊臣秀吉朱印状、毛利輝元書状、福島正則書状なども現存しています(紙本墨書不動院文書として広島県の文化財に指定)。

ちなみに現在の広島県では、広島県福山市鞆町にある安国寺(臨済宗妙心寺派)が備後国に建てられた安国寺利生塔です(足利尊氏による再興)。

重要文化財の鐘楼
不動院
名称 不動院/ふどういん
所在地 広島県広島市東区牛田新町3-4-9
関連HP 不動院公式ホームページ
電車・バスで アストラムライン不動院前駅から徒歩5分
ドライブで 山陽自動車道広島ICから約4.5km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 不動院 TEL:082-221-6923
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

不動院・金堂

広島市内で唯一の国宝建築物が、原爆投下の被害が軽微だった不動院・金堂。天井の墨書(ぼくしょ)から天文9年(1540年)築と判明し、国宝になっていますが、もともとは大内義隆が周防(すおう=現・山口県)山口に建てたもの。天正年間(1573年〜1

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了