呉市川尻町に建つ承平7年(937年)創建と伝わる古刹が宝積寺(ほうしゃくじ)。本尊の十一面観世音菩薩は行基作との伝承があり、16年に一度しか公開されない秘仏。本尊の霊験を知った平清盛は、宝積寺に参籠し、三日三晩に渡って平家一門の繁栄を祈願したと伝えられています。平清盛自筆と伝わる額も現存。
平清盛が参籠し平家の隆盛を祈願した寺
本尊・十一面観世音菩薩は最澄が弘仁5年(814年)、川尻の東福寺を訪れた際に安置されましたが、後に大地震で寺が倒壊し、宝積寺に移されたと伝えられるもの(『宝積寺略縁起』に記載)。
最澄は当時、六所宝塔院(後の延暦寺など)の建立を進めており、弘仁5年(814年)には九州に渡っているので、最澄がこの地を訪れた可能性は大。
宝積寺は野呂山の山麓に建っていますが、野呂山は空海が二度、修行に訪れたという伝承も残される地。
延暦11年(792年)、空海19歳の時、厳島の弥山で修行した帰途、野呂山にの岩窟に籠り修行し、さらに弘仁3年(823年)、49歳の時に再訪したのだとか(ただし、空海の弥山修行に関しても歴史的な裏付はなく、あくまで伝承です)。
いずれにせよ、山上に巨石が累々とする野呂山は密教にとっての修行の地だったことがわかり、平清盛もこの地を瀬戸内屈指のパワースポットと理解していたのだと推測できます。
呉市の文化財に指定される宝積寺五輪塔群は、室町時代以前の墓塔。
平時は農業に従事し、いざというときには戦場に馳せ参じた中世の武士の墓です。
平清盛自筆とされる額は、「階下威光輝一天、仏光明者照十方」と記されていますが、「階下威光輝一天」は、「陛下威光輝一天」の誤記なので、明治初期に書写した際に写し誤ったと推測できます。
平清盛が植えたと伝わる松は広島県の天然記念物に指定されていましたが、昭和9年の室戸台風で倒れ、その跡地に福島県三春滝から移植した枝垂桜が育っています。
宝積寺 | |
名称 | 宝積寺/ほうしゃくじ |
所在地 | 広島県呉市川尻町原山1-15-6 |
電車・バスで | JR安芸川尻駅から徒歩15分 |
ドライブで | 広島呉道路(クレアライン)呉ICから約17km |
駐車場 | 1台/無料 |
問い合わせ | 宝積寺 TEL:0823-87-2196 |
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