埼玉県桶川市、比企郡川島町を流れる荒川河川敷を利用した飛行場が、ホンダエアポート。本田技研工業が航空産業への参入を目指して整備した飛行場で、非公共用飛行場ながら、関東で唯一小型機が夜間運用できる場所。この飛行場、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場が開場した際の、川田谷飛行場が前身です。
昭和45年にホンダエアポートが開場
荒川は、関東大震災と第一次世界大戦後の世界恐慌を背景に、桶川では昭和4年、大規模な公共事業として、荒川河川改修工事が行なわれています。
大型の掘削機を蒸気機関車が牽引するという大掛かりな工事でした。
工事完成後の昭和6年、柳条湖における鉄道爆破事件を契機として、満州事変が勃発(昭和7年、関東軍に主導されて満州国の建国が宣言)。
昭和の社会問題を大陸への軍事進出で解決するといった風潮が世論を支配し、昭和11年には二・二六事件が起きています。
そんな軍靴の高まりとともに、航空機が当初の偵察から戦闘機、爆撃機へと役割を広げていったため、搭乗員の不足が生まれます。
陸軍では操縦者の育成が急務となったため、昭和10年、東京に近く、広大な土地がある荒川河川敷にに目をつけ、熊谷陸軍飛行学校を開校。
日中戦争の開始された昭和12年には、埼玉県北足立郡川田谷村(現在の桶川市西部)に熊谷陸軍飛行学校桶川分教場を開校、実施訓練の場として川田谷飛行場を整備したのです。
この桶川分教場と川田谷飛行場からは、20期余り、1500名~1600名の操縦者を戦場へ送り出しています。
昭和39年3月、本田技研工業が航空産業への参入を目指しホンダエアポートを設立、昭和45年、長らく放置され、荒れていた川田谷飛行場跡地を整備して飛行場に戻しています(本田航空が管理)。
現在、ホンダエアポートが利用するのは、本田航空のほか、埼玉県防災航空隊(消防防災ヘリコプター3機)、栃木県消防防災航空隊などで、地域災害の救援などにも役立っています。
本田航空による遊覧飛行(「東京タワーコース」など)はコロナ禍以降、行なわれていません。
ちなみに、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の建物は、「桶川飛行学校平和祈念館」として再生され、見学が可能。
桶川のホンダエアポートは、陸軍「川田谷飛行場」が前身 | |
所在地 | 埼玉県比企郡川島町出丸下郷53-1 |
場所 | ホンダエアポート |
関連HP | 本田航空公式ホームページ |
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