福島県白河市、下野国(しもつけのくに)と陸奥国(むつのくに)の国境の関があった白河の関跡を境内とする神社が白河神社。関の明神、二所関明神と呼ばれ、社伝によれば、古墳時代の成務天皇5年(315年)、白河国造・鹽伊乃自直命(しほいのこじのあたいのみこと)を祀ったのが始まりという古社です。
白河の関にある古社
白河の関は律令時代の奈良時代から平安時代頃に機能していたと推測される国境警備の関所。
治承4年(1180年)には、源頼朝の挙兵を知った源義経が、鎌倉へと馳せ参じる途中、境内の松に矢を立て源氏の再興を祈願しています。
本殿の棟紋に九曜星、縦三引きの紋が刻まれているのは、元和元年(1615年)、伊達政宗(だてまさむね)が社殿を改築しているから。
白河神社境内にある山城のような空壕(からぼり)と土塁の跡は、関守居館や倉庫などの跡とされています。
この境内地が、古代の白河の関だと認定したのは、白河藩主・松平定信(まつだいらさだのぶ)で、寛政12年(1800年)、参道入口に古関蹟碑を建立しています。
『奥の細道』途中の芭蕉は、元禄2年4月21日(1689年6月8日)、「心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ」と記し、『曾良随行日記』に、「古ノ関ノ明神故ニ二所ノ関ノ名有ノ由、宿ノ主申ニ依テ参詣」と記されており、まず、この白河神社の白河の関を訪ねています。
芭蕉と曾良は、旗宿に泊まって、宿の主人から「白河の関はこの西方にある」と聞かされますが、奥州街道が整備されてからの白河の関、境の明神(白河市白坂明神)は白河の関の西7kmに位置していたのです。
白河神社 | |
名称 | 白河神社/しらかわじんじゃ |
所在地 | 福島県白河市旗宿関ノ森120 |
関連HP | 白河観光物産協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR白河駅から福島交通バス白河の関行きで30分、終点下車、すぐ |
ドライブで | 東北自動車道白河ICから約16km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 白河観光物産協会 TEL:0248-22-1147 |
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