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三ツ石神社(鬼の手形)

三ツ石神社(鬼の手形)

三ツ石神社は盛岡市に現存する最古の神社(創建は不詳)で、藩政時代に、源頼朝の家臣で、南部氏始祖の南部光行(なんぶみつゆき)も祭神に迎えています。境内にある三つの石は、盛岡の古名である「不来方」(こずかた)の由来ともなった石で、「鬼の手形」といわれ、今でも雨上がりなどには、の三ツ石の上に、大きな手形が現れるのだとか。

岩手という地名の由来になった鬼の手形が!

その昔、この地方に羅刹鬼(らせつき)という鬼が住んでいて付近の住民を悩ませ旅人を脅していました。
人々は三ツ石の神に祈願して、その神通力で羅刹鬼を捕縛、境内にある巨大な三ツ石(岩手山が噴火した時に飛んできたという伝承が)に鬼を縛り付け、「もう来ない」と約束させます。
この時に、鬼がこの石に約束の手形を押したと伝えられています。
この岩の手形が「岩手」のルーツというわけなのです。
また、鬼退治に喜んだ里人が三ツ石の周囲で「さんささんさと踊り囃した」のが毎年8月1日〜8月4日に行なわれる『盛岡さんさ踊り』のルーツとされています。

羅刹鬼という仏教的な名前からも、往時は単独の神社ではなく、至徳元年(1384年)創建という東顕寺(とうけんじ)の境内(あるいは境内社)だったことが推測できます(東顕寺開基の福士氏が不来方氏を名乗った)。

伝承では岩手山の噴石ということですが、実際には花崗岩が風化したもの(もし噴石であれば玉川溶結凝灰岩ということに)。
市内にある石割桜も花崗岩です。

南部光行が祀られたのは、南部氏が盛岡に居城を移した慶長4年(1599年)。
南部光行は、治承4年(1180年)、石橋山の戦いで源頼朝に与して戦功を挙げたため、後に甲斐国南部牧(現・山梨県南巨摩郡南部町)を与えられ南部姓を名乗ったのが始祖たるゆえん。
文治5年(1189年)、奥州合戦で陸奥国糠部郡(ぬかのぶぐん=青森県東部から岩手県北部、一から九までの「戸」の付く地名があります)を領有し、藩政時代の南部藩の藩祖にもなっています。

三ツ石神社(鬼の手形)
名称 三ツ石神社(鬼の手形)/みついしじんじゃ(おにのてがた)
所在地 岩手県盛岡市名須川町2-1
電車・バスで JR盛岡駅から岩手県交通都心循環バスでんでん虫右回りで13分、本町通一丁目下車、徒歩5分
ドライブで 東北自動車道盛岡ICから約6km
駐車場 観光駐車場(3台/無料)を利用
問い合わせ 桜山神社 TEL:019-622-2061/FAX:019-622-8671
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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