岩手県花巻市にある大正15年に宮沢賢治が設立した私塾が羅須地人協会(らすちじんきょうかい)。宮沢賢治は大正15年、花巻農学校を退職し、農民たちに農業技術や農業芸術論などを講義するため現在の花巻市桜町に羅須地人協会を開設。入口前の黒板には、「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」というチョークの字が記されています。
「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」は宮沢清六の字
宮沢賢治は、木造の2階屋に自炊し、ここに周辺の青年を集め化学、土壌、肥料、農民芸術論を講義し、農業指導を行ないました。
大正15年8月に開校し、11月29日から「農民講座」が開始されましたが、翌年(昭和2年)2月1日、『岩手日報』に「農村文化の創造に努む 花巻の青年有志が地人協会を組織し自然生活に立ち返る」という紹介記事が掲載されたことをきっかけに、「若者への社会教育」が問題視され、花巻警察署長・伊藤儀一郎による聴取を受けたことから3月に協会としての活動を休止、さらに昭和3年には健康を害して実家に戻って療養したことから、羅須地人協会での実践的な教育はわずかな期間となっています。
現在の建物は移築復元されたもので、花巻農業高校の敷地内に建っています。
そのため見学は、授業の妨げにならないように配慮を。
学校施設のため館内の見学は学校の事務室に申し込みが必要です。
入口の「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」という文字は、復元整備の際、実弟・宮沢清六(草野心平や高村光太郎らの助力を得て『宮澤賢治全集』出版)が賢治の筆跡を真似て書いたものを、農業高校の生徒がチョークで上書きしています。
「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」の意味は、「畑に行って家は留守にしているがおやつはそこに置いてあるよというやさしい心ずかい」(柳原昌悦=農学校時代の教え子)だったとのこと。
羅須地人協会の建物がもともと建っていた花巻川口町下根子桜(現・花巻市桜町)の跡地には、賢治の死去から3年後に「雨ニモマケズ」の詩碑が建立されています。
羅須地人協会 | |
名称 | 羅須地人協会/らすちじんきょうかい |
所在地 | 岩手県花巻市葛1-68 |
関連HP | 花巻観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR花巻駅から岩手県交通バス石鳥谷駅行きで16分、二枚橋下車、徒歩10分 |
ドライブで | 東北自動車道花巻ICから約3km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 花巻農業高校 TEL:0198-26-3131 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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