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宮沢賢治詩碑(雨ニモマケズ詩碑)

宮沢賢治詩碑(雨ニモマケズ詩碑)

岩手県花巻市の「羅須地人協会」跡地に立つ詩碑。宮沢賢治(正字: 宮澤賢治)は大正15年3月31日に岩手県立花巻農学校を退職し、宮沢家の別宅で農耕生活を始め、「羅須地人協会」を開設。その「羅須地人協会」跡地に立つのが宮沢賢治詩碑(雨ニモマケズ詩碑)。賢治の命日である9月21日には、『賢治祭』が開催されています。

碑文は高村光太郎の揮毫(きごう)

宮沢賢治詩碑に刻まれるのは、体調不良で死を覚悟した昭和6年11月に手帳に記した『雨ニモマケズ』(没日は昭和8年9月21日)。
碑文の字は、彫刻家であり画家であり、詩人であった高村光太郎
宮沢賢治と親交があり、死後、「宮沢賢治全集」の出版にも尽力しています。

宮沢賢治詩碑(雨ニモマケズ詩碑)は、昭和11年11月21日建立、11月23日に除幕されています(一部に脱漏があったので、昭和19年に追刻)。
碑の地下には、法華経の経文、文圃堂版の宮澤賢治全集、詩碑建立の由来を記した文書とともに、賢治の遺骨の一部も収められおり、賢治ファンにとっては聖地のような場所になっているのです。
数ある宮澤賢治の詩碑のなかでも、「賢治詩碑」というと、この「羅須地人協会」跡の雨ニモマケズ詩碑を指します(バス停名も賢治詩碑前)。

ちなみに『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治の没後、昭和9年2月16日に東京・新宿「モナミ」(銀座が本店の喫茶レストラン「モナミ」の新宿にあった支店)での『宮沢賢治追悼』出版記念会(第1回宮沢賢治友の会)の席上で、賢治の遺品である大きな革トランクのなかから発見された手帳の51ページ目から59ページ目に記されたメモ書きです。

雨ニモマケズ(詩碑 碑文)

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノ夏ハオロオロアルキ
ミンナニデクノバウボートヨバレホメラレモセズ苦ニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ

宮澤賢治

宮沢賢治詩碑(雨ニモマケズ詩碑)
名称 宮沢賢治詩碑(雨ニモマケズ詩碑)/みやざわけんじしひ(あめにもまけずしひ)
所在地 岩手県花巻市桜町4丁目
関連HP 花巻観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR花巻駅から徒歩35分、または、タクシーで10分
問い合わせ 花巻市観光課 TEL:0198-24-2111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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