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開運橋

開運橋

岩手県盛岡市にある北上川に架かる縁起のいい名前の橋が、開運橋。岩手県道2号(盛岡停車場線)の橋で、北上川で分断された盛岡駅と盛岡の街中を結ぶ盛岡を象徴するシンボル的な橋です。天気がよければ岩手山を眺めることのできる橋で、現在の橋は昭和28年架橋の3代目。

氷川きよしが歌う『二度泣き橋』はこの橋のこと!

初代の橋は、日本鉄道・盛岡駅の開業(明治23年11月1日)で、分断される盛岡市街を解消するため(夕顔瀬橋と明治橋しか架橋されていませんでした)、岩手県知事・石井省一郎(いしいしょういちろう/幕末の小倉藩士、明治期の内務官僚)が私費で架橋したのが初代。
なぜ私費で架橋したかといえば、明治22年の市制施行時の市会が選ぶ選挙で、石井省一郎は自由党が推したトップ当選の米内受政の就任を拒否し、2位の目時敬之(めときたかゆき)を初代の市長に任命したから。

こうした市会との対立で、市会は開運橋架橋を満場一致で否決。
私設の橋のため当初は「橋銭」という通行利用料を徴収していましたが、翌年には市の予算で買収されています。
私費で架橋した石井省一郎は、この橋が盛岡の発展につながることを確信していたので、開運橋と名付けたのだと推測できます。

初代の開運橋は、永久橋でなかったため、明治29年、明治43年の二度の洪水で流失。
大正6年に宮沢賢治が「そら青く 開うんばしの せとものの らむぷゆかしき 冬をもたらす」と歌った2代目が架橋され、昭和28年に3代目(流出後の架橋を含めると4代目)になっています。

2代目は橋長82.25mのトラス橋にアーチ構造を用いて補強した下路式単純ランガートラス橋で、現在の塗装はムーンホワイト。

「二度泣き橋」と呼ばれるのは、転勤で盛岡に来た人が「遠くまで来てしまった」と泣きながら渡り、住んでみると盛岡の人の温かさと優しさに触れ、去る時は「離れたくない」と泣きながら渡るという転勤族に語り継がれた話に由来。
名付け親は、第20代日本銀行盛岡事務所長・古江和雄氏です。
氷川きよしが歌う『二度泣き橋』(作詞は『神田川』の喜多條忠、作曲・大谷明裕)は、開運橋のこと。

今も盛岡に来る人を出迎え、去る人を見送る橋のため、季節限定でライトアップが行なわれています。

画像協力/公益財団法人岩手県観光協会

開運橋
名称 開運橋/かいうんばし
所在地 岩手県盛岡市盛岡駅前通
関連HP 盛岡市公式ホームページ
電車・バスで JR盛岡駅から徒歩5分
ドライブで 東北自動車道盛岡ICから約4.5km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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