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法然寺

法然寺

高松市にある浄土宗の寺、法然寺(ほうねんじ)。建永2年(1207年)3月に讃岐に配流された浄土宗開祖の法然が立ち寄った那珂郡小松荘(現・まんのう町高篠)に創建された生福寺が前身という古刹で、法然自刻と伝わる阿弥陀如来立像が本尊です。寛文8年(1668年)、初代高松藩主・松平頼重が法然寺と改名して、現在地に移転させています。

法然ゆかりの寺は、高松藩松平家の菩提寺

専修念仏を唱える法然、その弟子の親鸞に対し、比叡山延暦寺(北嶺)や奈良・興福寺(南都)は、その停止を朝廷に提訴します。
そんな折に後鳥羽上皇の女房が上皇の留守中に法然の弟子を慕って出家するという事件が起こり、後鳥羽上皇の逆鱗(げきりん)に触れ、法然は土佐(実際には讃岐国=香川県)、親鸞は越後国国府(新潟県上越市)に配流されます(承元の法難)。

讃岐国配流となった法然は、経ヵ島(兵庫)から船出し、高砂、室津、塩飽諸島・本島を経て宇多津あるいは丸亀塩屋に上陸。
まずは善通寺に参詣後、法然の庇護者・九条家の所領、那珂郡小松荘へ向かいます。
建永2年(1207年)12月、赦免されたため、法然は土佐へは向かうことなく京に戻ることに。

小松荘で法然は生福寺に寓居しますが、戦国時代までに生福寺は荒廃。
松平頼重(徳川光圀の兄、水戸徳川家初代・徳川頼房の長男)が高松城下近くの雌山に移して法然寺とし、菩提寺としています。

雌山の頂一帯には般若台といわれる墓域が築かれ、法然上人の供養塔、松平頼重の墓を中心に歴代藩主(2代頼常、9代頼恕、10代頼胤は除く)の墓があります。

寺の周囲には堀なども築かれ、往時には高松城の出城としての機能も有していたと推測できます。

現存する本堂は、明治40年再建。
書院、寺宝展示室、本堂から三仏堂へと廊下続きで見学が可能です。
三仏堂に安置される三仏堂本尊の木造阿弥陀如来坐像・木造釈迦如来坐像・木造弥勒菩薩坐像は、初代藩主松平頼重により造立されたものと伝えられ、香川県の有形文化財に指定されています。

毎年秋には法然寺を参拝する高松藩の大名行列を再現する『高松秋のまつり・仏生山大名行列』が行なわれています。

また、うどん県・香川だけに境内にも「本格手打ちさぬきうどん 竜雲」が営業。

法然寺
名称 法然寺/ほうねんじ
Honenji Temple
所在地 香川県高松市仏生山町甲3215
電車・バスで ことでん琴平線仏生山駅から徒歩20分
ドライブで 高松自動車道高松中央ICから約6km。高松西ICから約7km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 法然寺 TEL:087-889-0406/FAX:087-889-0688
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/香川県

 

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