大阪府南河内郡河南町(かなんちょう)にある金山古墳(かなやまこふん/墳丘長85.8m)は、大小ふたつの円丘を合わせた双円墳という不思議な古墳。全国に1例という希少な古墳で、北丘は2段に、南丘は3段に築かれ、墳丘の周囲には前方後円墳と同様に濠が巡らされ、北丘には長さ10mほどの横穴式石室が備えられています。
被葬者は新羅の王族という可能性も!
前方後円墳は、円形の主丘に方形の突出部が接続する形状(鍵穴形)で、ヤマト王権の象徴ともいわれ、3世紀後期〜7世紀初頭頃(畿内大王墓は〜6世紀中頃)に築かれています。
金山古墳が築かれたのは6世紀末〜7世紀初頭、畿内で前方後円墳が築かれなくなった直後の時代ということになります。
直径55.4mの南丘、38.6mの北丘というふたつの円形の墳丘が接続する型式の古墳(双円墳)は、日本広しといえどもここだけ。
墳丘の外周には、周辺の土地より一段低い水田が12m前後の幅で巡っていましたが、両円丘に共通した周濠の名残と推測されています(ただし築造時から水を溜める機能はなく、空濠だったと推測されています)。
現在は、史跡金山古墳公園として整備され、見学が可能です。
古墳時代前期〜中期、前方後円墳の斜面をを覆った葺石(ふきいし)は、円丘と円丘の接続するくびれ部西側にのみ確認されるだけで、それ意外には葺石はありませんでした。
北丘の石室は凝灰岩をくり抜いた家形石棺(刳抜式家形石棺)が2個置かれていますが、石室や石棺内は盗掘にあい、出土品はガラス玉、銀環、馬具類、鉄刀、鉄鏃、土器の破片など限られています。
南丘にも石室へとつづく墓道が見つかっているので、南丘にも同様の石室があると考えられますが、発掘調査は行なわれていません。
朝鮮半島には新羅(しらぎ、シルラ/紀元前57年〜935年)に2人の被葬者を隣接する墳丘に葬るために、時期を隔てて2基の円墳を築造する瓢箪型(ひょうたんがた)の瓢形墳(ひょうけいふん)があり、東京都港区・芝公園にある芝丸山古墳も明治30年代の発掘調査で、坪井正五郎(つぼいしょうごろう=日本初の人類学者)は、その形状から「瓢型古墳」(ひさごがたこふん)と命名していますが、現在では前方後円墳となっています。
兵庫県姫路市の瓢塚古墳も瓢塚という名から瓢箪型をイメージしますが、やはり前方後円墳で、双円墳ではありません。
朝鮮半島の古代、新羅の都である慶州の王墓に見られるという特異な形状で、新羅は三国時代を経て、7世紀後半に朝鮮半島を統一していますが、ちょうど新羅、高句麗、百済が分立した三国時代に金山古墳が築かれていることから、新羅の王族、あるいは新羅と関係性を有した人物が眠るという可能性も指摘されています。
河内国には難波津(現・大阪港)に上陸した渡来人が居住した地なので、大陸との交流がもたらした珍しい墳丘なのかもしれません(金山古墳が築かれた時代、ヤマト王権は、遣隋使を中国・隋に派遣しています)。
全国にたった1基の珍しい古墳、双円墳に秘められた謎とは!? | |
名称 | 金山古墳/かなやまこふん |
所在地 | 大阪府南河内郡河南町芹生谷 |
関連HP | 河南町公式ホームページ |
電車・バスで | 近鉄富田林駅からコミュニティバスで芹生谷下車、徒歩3分 |
駐車場 | 史跡金山古墳公園駐車場(無料) |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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