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異人館(旧鹿児島紡績所技師館)

異人館(旧鹿児島紡績所技師館)

鹿児島県鹿児島市吉野町にある幕末の慶応3年(1867年)築の洋館が異人館(旧鹿児島紡績所技師館)。日本初の洋式紡績工場である鹿児島紡績所の技術指導にあたったイギリス人技師の宿舎で、国の重要文化財、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産になっています。

幕末のイギリス人技師宿舎は世界遺産に

文久3年7月2日〜7月4日(1863年8月15日〜8月17日)、薩英戦争で敗れた薩摩藩は西欧の工業技術を学ぶ必要があることを痛感、慶応元年(1865年)、イギリス人・グラバーの手引きで、国禁を犯してイギリスに使節(新納久修、五代友厚)を派遣、プラット・ブラザーズ会社製の紡績機械を導入し、慶応3年(1867年)、日本初の洋式紡績所(鹿児島紡績所)を稼働。

そのときに招いた工務長ジョン・テットロウ(Jon. Tetlow)ら技師たち、7人の宿舎として建設された木造2階建てのモダンな洋館が現在の異人館(旧鹿児島紡績所技師館)です。
当時は薩英戦争からまだ日が浅く、イギリス人技師たちには工場内外で護衛が付けられていたとのこと。
政情を不安視したイギリス人技師たちは3年の契約期間の終了を待たず、明治元年に帰国し、廃藩置県後に紡績所は商社に改組、明治30年に島津忠義も亡くなり、閉鎖されています。

旧鹿児島紡績所技師館は、日本で最も初期の洋風木造建築で、コロニアル様式のベランダ、日本の寸法による設計など和洋折衷の建築様式が特徴(建築当初は白色に塗装)。
外国人建築家による設計と推測されますが、柱間の寸法に寸尺が用いられていることなどから、実際の建築には日本人が携わっていることがわかります。

技師たちの帰国後は、大砲製造支配所として使われ、西南戦争では薩摩軍負傷兵の病院にもなっています。

建物は、国の重要文化財に指定され、平成22年の隣接地の発掘調査で紡績所本体の基礎部分の遺構が確認され、敷地は「鹿児島紡績所跡」として国の史跡に。
館内には、鹿児島紡績所技師館時代の資料などを展示しています。

薩摩藩による事業の関連遺産(集成館事業)として経済産業省の近代化産業遺産(『近代技術導入事始め』海防を目的とした近代黎明期の技術導入の歩みを物語る近代化産業遺産群)にも認定。
集成館機械工場(現・尚古集成館本館)などとともに世界遺産「明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産にもなっています。

画像協力/公益社団法人鹿児島県観光連盟

異人館(旧鹿児島紡績所技師館)
名称 異人館(旧鹿児島紡績所技師館)/いじんかん(きゅうかごしまぼうせきじょぎしかん) TEL
所在地 鹿児島県鹿児島市吉野町9685-15
関連HP 鹿児島市公式ホームページ
電車・バスで JR鹿児島中央駅から林田バス・南国交通バス・鹿児島交通バス霧島方面行きで25分、磯公園前下車、徒歩1分。またはJR鹿児島中央駅からカゴシマシティビュー(観光周遊バス)で32分、仙巌園前下車、徒歩1分
ドライブで 九州自動車道鹿児島北ICから約8.5km
駐車場 6台/無料
問い合わせ 異人館(旧鹿児島紡績所技師館) TEL:099-247-3401
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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