姶良市を流れる網掛川に懸かる龍門滝の上流に位置するアーチ橋が金山橋(きんざんばし)。島津家が金山経営のために明治12年〜明治13年頃に架橋した頑丈な石橋で、山ヶ野金山(やまがのきんざん)から金鉱石や物資を舌出し(加治木港)に運搬する馬車道(金山道路)の途中に位置しています。すぐ上流側には板井手の滝が落ちています。
山ヶ野金山の金鉱石を運んだ馬車道途中のアーチ式石橋
薩摩藩主・島津家は幕末の慶応3年(1867年)にフランス人技師・コワニエ(Jean Francisque Coignet)を雇い、山ヶ野金山の近代化に着手(明治維新後、コワニエは生野銀山の近代化に尽力)。
明治11年には、ポール・オジェを雇い、当時の鹿児島県の予算に匹敵する20万円を投じて近代化事業を継続しています。
その一環で架橋されたのが第一金山橋。
橋の近くには、当時の馬車道だと推測できる旧道が残され、旧道から川に下りて橋を見学可能です。
金山橋は、全長23m、幅4.2m。
橋自体は明治のままですが、欄干や路面は、平成23年に改修されています。
橋のたもとには駐車場も整備されています。
第二金山橋といわれた大王橋(霧島市溝辺町有川)はすでに撤去されていますが、第三金山橋の上牟田橋(じょうむたばし/霧島市溝辺町竹子上牟田/明治14年架橋)は現存しています。
全国一の金産出量を誇った山ヶ野金山
山ヶ野金山(永野金山)は、現在の鹿児島県霧島市とさつま町の境界付近にあった金銀を産出した鉱山。
江戸時代の初期に発見され、一時は佐渡金山をしのぐ日本最大の産金量を誇りました。
1万人が暮らす鉱山町が形成され、西国屈指の遊郭が築かれるほどの繁栄だったとか。
昭和40年に閉山されています。
江戸時代の初期に発見され、一時は佐渡金山をしのぐ日本最大の産金量を誇りました。
1万人が暮らす鉱山町が形成され、西国屈指の遊郭が築かれるほどの繁栄だったとか。
昭和40年に閉山されています。
金山橋 | |
名称 | 金山橋/きんざんばし |
所在地 | 鹿児島県姶良市加治木町小山田34-1 |
関連HP | 姶良市観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 九州自動車道加治木JCTから約2.7km |
駐車場 | 11台/無料 |
問い合わせ | 姶良市商工観光課 TEL:0995-66-3111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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