鹿児島県南九州市知覧町、知覧の峯苫地区(飛行場跡)の掩体壕跡を令和3年4月に公園化したのが、掩体壕公園。掩体壕は、飛行場に格納する飛行機を、アメリカ軍の爆撃などを避けるために築かれたシェルター。知覧では、コンクリートではなく、コの字型に土塁を築いて掩体壕にしていました。
「カモメ誘導路」掩体地区の1基を公園化して保存
土塁の高さは4m以上あり、隼Ⅲ型甲の全高は3.2mだったので、十分に爆風から守ることができ、 昭和20年以降には、着陸した飛行機は、すぐに掩体壕に格納し、飛行機の上に枝などをかけてカムフラージュしていました。
昭和19年12月26日、アメリカ軍の偵察機が初めて知覧飛行場の偵察を行ない、滑走帯の向きと延長、施設の規模、掩体壕の数などを確認しています。
昭和20年3月25日にはマリアナ諸島のサイパン島に本拠地を置いた第3写真偵察戦隊のはB-29を改造したF-13が飛来、さらに沖縄戦でアメリカ軍がに飛行場を確保した後は、読谷飛行場を本拠地とする第7航空軍・第28写真偵察戦隊が九州上陸戦に備えて11回もの偵察を行なっています。
知覧飛行場は、激化する戦争を背景に、昭和20年3月から特攻隊が知覧進出したため、保有する飛行機も増大し、特攻作戦中(6月11日まで特攻作戦を実施)は70機以上、多い時は100機以上もの飛行機が知覧飛行場に集結していました。
当時、知覧城の南と南西には数多くの駐機場があり、飛行場西側には山裾を利用して西元の「カモメ誘導路」掩体地区と呼ばれる掩体壕が並んでいました。
山裾を馬蹄形に削って掩体とした土塁型の掩体壕が24基築かれ、誘導路の総計は3kmにも及んでいたのです。
現在、掩体壕公園として整備されるのは、「カモメ誘導路」掩体地区の1基。
飛行場南、永里の「ツバメ誘導路」掩体地区は、地形を利用することができないため、土を盛って馬蹄形に土塁を築いて掩体壕にしています。
掩体壕公園 | |
名称 | 掩体壕公園/えんたいごうこうえん |
所在地 | 鹿児島県南九州市知覧町西元842-2 |
関連HP | 南九州市公式ホームページ |
ドライブで | 南薩縦貫道南九州知覧ICから約2km |
駐車場 | 7台/無料 |
問い合わせ | 南九州市文化財課文化財係 TEL:0993-83-4433/FAX:0993-83-3055 |
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