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瑞泉寺

瑞泉寺

鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の名刹、瑞泉寺(ずいせんじ)。鎌倉末期の臨済宗の高僧、夢窓疎石(むそうそせき)が開山したと伝えられる寺で、鎌倉でも紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる風雅な谷戸(やと)に建ち、人気の寺になっています。至徳4年(1387年)には関東十刹第二位に列せられ、五山文学の一端を担うほどに繁栄しました。

夢窓疎石作庭の庭は、鎌倉に現存唯一の鎌倉時代のもの

夢窓疎石作庭の庭と天女洞

鎌倉時代後期の御家人(ごけにん)で、甲斐国山梨郡牧荘(現在の山梨市、甲州市一帯の荘園)出身の二階堂貞藤(にかいどうさだふじ=二階堂道蘊)が嘉暦2年(1327年)、夢窓疎石を開山として創建。
当初は瑞泉院と称していましたが、南北朝時代に初代の鎌倉公方(かまくらくぼう=京に置かれた関東十石統治の長官職)に任じられた足利基氏(あしかがもとうじ=足利尊氏の四男)が夢窓疎石に帰依して再興し、寺号を瑞泉寺と改め、以降は鎌倉公方の菩提寺になっています。

方丈書院の庭園は夢窓疎石作庭の名園で、山を削り洞窟や池、中島、滝などを彫り出したユニークなもの。
鎌倉に唯一残る鎌倉期の庭園としても必見の価値があります。

ただし、この庭園、長らく埋もれていたものを創建当初の地割に従って昭和45年に復元したもの。
岩盤の正面に大きな天女洞を掘って水月観の道場とし、東側には坐禅のための坐禅窟、葆光窟を配しています。
天女洞の前にある池が、貯清池です。
池に架かる2つの橋を渡ると、園路は背後の山へと通じて、十八曲りを経て錦屏山の頂きに達する仕組み。
錦屏山から、霊峰富士を仰ぎ、相模湾があたかも庭池のように広がるという眺望になるという心憎い仕掛けに。
残念ながら現在は、文化財保護という観点からこの園路はもちろん、庭に入ることも禁止になっています。

水仙、梅、アジサイ、フヨウなど「花の寺」としても有名

梅香る瑞泉寺境内
鎌倉らしい竹林も

花の寺としても有名で、水仙、梅、藤、アジサイ、サルスベリ、フヨウ、萩、マンジュシャゲなど、四季折々の花と、紅葉が楽しめます(瑞泉寺の紅葉の見頃は、例年12月上旬〜下旬)。

とくに厳冬(12月初旬〜2月初旬)の水仙、初春(1月下旬〜3月中旬)の梅、初夏(6月上旬〜7月上旬)のアジサイが有名。

また、境内には、久米正雄の墓、高浜虚子、久保田万太郎、吉野秀雄、大宅壮一、山崎方代、吉田松陰などの碑が立ち、文学散歩にも絶好です。
大宅壮一(瑞泉寺に墓所があります)の文学碑には、「男の顔は履歴書である」と刻まれています。

境内は、「瑞泉寺境内」として国の史跡に。
総門脇は、瑞泉寺の裏山を通って、建長寺、今泉へと歩く「天園ハイキングコース」の入口に。

瑞泉寺と吉田松陰
「松陰吉田先生留跡碑」が立っているのは、嘉永4年(1851年)6月13日、藩主・毛利敬親に従っての江戸遊学の際、瑞泉寺へ伯父・竹院和尚を訪ねているから。
江戸への帰路には、相模、安房の沿岸地方の海岸防備を視察しています。
さらに嘉永6年(1853年)5月25日にも再訪し、水戸光圀編『新編鎌府誌』を読み、鎌倉各地や江ノ島に足を伸ばしています。
9月13日、3度目の鎌倉来訪は、佐久間象山とともに浦賀でペリー率いる黒船の行動を観察しています。
嘉永7年(1854年)3月14日の最期の来訪は、下田へ向かう途中(ペリー艦隊への同乗を依頼するため)に立ち寄っています。
吉田松陰
瑞泉寺
名称 瑞泉寺/ずいせんじ
所在地 神奈川県鎌倉市二階堂710
電車・バスで JR鎌倉駅から京浜急行バス大塔宮行きで10分、終点下車、徒歩17分
ドライブで 横浜横須賀道路朝比奈ICから約5.5km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 瑞泉寺 TEL:0467-22-1191
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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