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正眼寺

正眼寺

神奈川県足柄下郡箱根町湯本、箱根湯本の早雲通りの山際に建つ寺で、京都大徳寺の末寺が正眼寺(しょうげんじ)。鎌倉時代は地蔵信仰の霊地だった場所で、地蔵を安置していた湯本地蔵堂の別当、勝源寺が寺の前身です。今でも毎年9月21日には地蔵尊縁日が開かれています。

箱根の地蔵信仰を今に伝える古刹

中世の公道、湯坂道(湯坂路・ゆさかみち=現在は湯本から浅間山、鷹巣山を経て芦之湯へ至るハイキングコースになっています)を往来する極楽浄土を願う旅人たちの篤い信仰を集めていたのが勝源寺と湯本地蔵堂。

正眼寺の裏手には、富士の裾野の仇討ちで知られる曾我兄弟を弔った木造伝曽我五郎地蔵菩薩立像(鎌倉時代・神奈川県の文化財)、木造伝曽我十郎地蔵菩薩立像(室町時代)が安置された曽我堂があり、境内には曽我兄弟の供養塔(江戸前期、冬木屋上田家が建立した供養塔)、曽我五郎が病回復の証に、力試しに使ったという曽我五郎の鎗突石(江戸時代までは、箱根旧街道筋の鎗突沢にありました)もあり、箱根山の歴史を今に伝えています。

3月末~4月初旬に咲き誇る枝垂れ桜と、9月中旬の萩は見事です。

箱根の地蔵信仰と末法思想

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、釈迦(しゃか)入滅後、弥勒(みろく)が下りきて衆生を救うまでの無仏となる56億7000万年の間、衆生の救済を行なう菩薩。

平安時代中期以降に末法思想が広がり、死後に地獄へ堕ちることを避け、信仰と実践によって極楽浄土への往生を得たいとする人々の願いを受け止める、様々な宗教的勢力が台頭します。
極楽浄土の教主である阿弥陀如来や地獄の救済者である地蔵菩薩はそのような末法の世の中で人々の信仰を集めていったのです。

箱根火山の溶岩が露出し、火山活動の痕跡が残る箱根山では、精進ヶ池畔や芦ノ湖畔が「賽の河原」と呼ばれ、六道地蔵の磨崖仏などが安置されたのです(それが元箱根石仏・石塔群)。

箱根湯本は、鎌倉時代、精進ヶ池畔、芦ノ湖畔へと通じる湯坂道の入口に位置していました。
湯坂道は延暦21年(802年) の富士山噴火で足柄道が塞がれたため開かれた街道で、元和年間、江戸幕府が箱根越えの東海道を開くまでは、この湯坂道が公道でした。
鎌倉幕府の直轄だった箱根権現(現・箱根神社)への参詣路でもあったため、源頼朝や源実朝など鎌倉将軍の伊豆山権現(現・伊豆山神社)・箱根権現の二所詣にも使われていたのです。

正眼寺
名称 正眼寺/しょうげんじ
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町湯本5620
電車・バスで 箱根登山鉄道箱根湯本駅から徒歩16分
ドライブで 小田原厚木道路箱根口ICから約3km
駐車場 8台/無料
問い合わせ 正眼寺 TEL:0460-85-5638
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

元箱根石仏群(元箱根石仏・石塔群歴史公園)

国道1号は、箱根山中(神奈川県箱根町)、駒ヶ岳と上二子山の間を抜けるあたりが標高874mの最高地点。一帯には、鎌倉、室町時代の地蔵信仰を伝える石仏、石塔が点在し、国の重要文化財に指定されています(元箱根石仏群)。元箱根石仏・石塔群歴史公園と

【旅の百科事典】 末法思想

釈迦の入滅(にゅうめつ)後、時が経つにつれ仏教の正しい教えが衰滅することを説いた予言が末法思想(まっぽうしそう)。釈迦の死後、1500年後、または2000年の間が正法(しょうほう)・像法(ぞうほう)の世で、それを過ぎると「末法の世」となり、

 

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